壁と青空 - 『THE SUN』に見る「抑圧と自由」
渡辺 亨

 新しい◯◯◯◯◯を買おう。◯◯◯◯◯の部分は、スニーカーでも、スピーカーでも、自転車でも、何だってかまわない。あるいは“スペイン語を習いに行こう”でもいいし、“隣の街に引っ越そう”でもいい。ようするに何か新しいものを生活の中に取り入れたり、新しいことを始めることによって、自分自身をリフレッシュしたい……とリスナーに思い立たせる音楽。別な言い方をするなら、リスナーの心に情熱を吹き込み、ささやかな冒険へと駆り立てる音楽。このような音楽のことを、ここでは“ロックンロ−ル”と呼ぶことにしたい。こうした意味において、『THE SUN』は、ロックンロール・アルバム。しかも高純度のロックンロールが堪能できるアルバムだ。

 佐野元春とザ・ホーボー・キング・バンドが奏でている音楽は、新しくも古くもなく、しかし、まるで今朝収穫された有機野菜や果物のようにフレッシュだ。もっとも、この『THE SUN』は、80年代以前から佐野元春の音楽を聴き続けてきたリスナーの記憶をかなりくすぐる。実際のところ、アルバムの幕開きを飾る「月夜を往け」からしてそうだが、佐野元春らしい曲調やメロディ、コーラス、歌詞のフレーズ、単語などが随所に顔を覗かせるので、聴いているうちに、『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』、『SOMEDAY』、さらには『BACK TO THE STREET』までもが自然に思い出される。それだけに、個人的には、久しぶりに佐野元春の音楽を堪能したという気分を味わったが、おそらくこのような感想を抱いたのは僕だけではないだろう。

 けれども、ここで改めて強調しておきたい。この『THE SUN』には、リスナーの記憶をくすぐる要素がちりばめられているものの、何度聴いても、懐かしいといった感慨は沸き上がってこない。なぜなら佐野元春は、常に同時代を見据え、その上で現在進行形のロックンロールを奏でているのだから。彼の視線は、「過去」にではなく、「現在」、そして「未来」に向けられている。また、一見初期の頃と変わっていないように思える独自のロックンロール文体は、より磨きがかけられている。だからこそ佐野元春は、自己模倣という罠に陥ることなく、デビューから20年以上過ぎた現在も、このような瑞々しくヴィヴィッドなロックンロールを奏でているのだ。

 抑圧と自由。それぞれの象徴である壁と青空をフレームに収めた写真が、アルバム・カヴァーにあしらわれている。が、この『THE SUN』の中には、いかなる壁も存在しない。それどころか、アルバム全体の見通しの良さは格別だ。そして繰り返しになるが、ここで奏でられている音楽は、力強く鮮度の高いロックンロール。そうしたロックンロールならではの醍醐味が、つま先から全身に駆け上がってくるような感覚を味わわせてくれる。それは、履きおろしのスニーカーで街に出かける時の気分に似ている。いや、それ以上の充実感、高揚感、至福感を体験することができる。