Season in THE SUN−佐野元春の新しい夜明け
青澤隆明

 太陽を直視することはできない。それでも人は目が眩むほどの光に打たれるときがある。
 
 佐野元春の新しい作品"THE SUN"は、それ自体が燦然と輝きながらも、ひとりひとりの心に密やかに浸透していく優しい光彩に溢れている。
 
 月の光と風、夢と愛に幕を開けるアルバムは、夢と風と愛に包まれながら静けさに溶けていく。しかし聴きおえた僕らの胸に広がるのは物語の終わりではなく、新しい始まりの喜ばしい予感である。やわらかな光に溶けるように、希望へとひらかれ、夢は夜明けを生きぬいて、美しい未来へ続いていく。そんな幸福な静けさが澄みやかに待ち受けている。
 
 ここに収められた14篇のストーリーが抱く風景は様々だし、登場人物のライフもまた多彩である。だが、くり返されるイメージはとてもシンプルだ。月、星、陽、闇、夜更け、夜明け、朝、今日、明日、日々、夢、愛、道、世界、気持ち、心、魂、時の流れ、優しい雨、空、風、未来、虹・・・・・。このアルバムを聴くときに広がっていく晴れやかな想い。それは、伸びやかに溢れるメロディーとサウンドに溶け合う、詩の言葉のやわらかくシンプルな佇まいに自然と導き出されているのだろう。
 
 アルバム・タイトルと同様に、あまりにもストレートで簡潔で、だからこそ力強さと広がりをもつ言葉をさりげなくくり返しながら、ソングライターは人々のささやかな日々の神話を描き出していく。その目線はいつにもまして穏やかで、優しく、そして愛おしい。それぞれの人がそれぞれの想いを抱いてそれぞれの空を見上げるように、彼はいくつもの共感の可能性をポップソングに歌いこんでいく。聴きての心に直截なメッセージや鋭い痛み、あるいは疑問符や強度の問いかけを突きつけるのではなく、彼は青空に虹をかけ、太陽を夢見ることで、ひとりひとりの自発的な想像をそっとうながしてみせる。それは聴きてとの幸福な関係のなかで、個々の自由意志を信頼するポジティヴなアティテュードだ。彼はひとりの男として聴きてと同じ地平に立ち、なにひとつ強制することはなく、ただ太陽を指さして穏やかに微笑みかける。
 
 "THE SUN"には、ここ数年の佐野元春の変容が鮮やかに映し出されている。彼の魂のやわらかいところが、たくさん見えるように思う。詩の言葉が穏やかにひらかれていること、メロディーが惜しみなく溢れていること、精緻に構築されたサウンドが上品な質感を湛えていること、そのなかで多彩な実験性と展開力が烈しさではなく朗らかな佇まいのうちに打ち出されていること、そして、広く聴きてに向かっていると同時におそらく作者自身にも率直であること、だからこそポップで親密な語りかけがなされていること。悲観的でなくポジティヴに世界に向き合う姿勢はさらに強く洗練されて、大人になった同時代のリスナーに切なく呼びかけるとともに、子供たちや次世代へ向けても夢見る方法を優しく示唆している。
 
 詩の言葉の輪郭は明瞭だが、ことさらに鋭角的ではなく、むしろまどかにさえ感じられる。それはメロディーの初々しい柔らかさに調和してのことだろうが、カタカナや抽象的な漢字熟語が多用されることはなく、誰の心のなかにもあるプライマルな語句ばかりが選ばれている。日常に存在し、原風景にも、神話にも通じる変わらない何かが、太陽と同様、14のスクリーンに投影される。言葉も旋律もお互いを縛ることはなく、いい雰囲気で仲良く手を取りあっている。
 
 この朗らかな変容は、ポップ・アルバムの前作"Stones and Eggs"以降の佐野の活動を辿るとき、より確実に体感されるだろう。まず、デビュー20周年に際して、彼はそれまでのスポークン・ワーズの仕事をCDに集大成し、これまでのポップソングから2枚のベスト盤を編んだ。2001年には初のスポークンワーズ・ライヴ"In motion 2001−植民地の夜は更けて"を井上鑑らとともに鎌倉芸術館で成功させ、2年後の"In motion 2003−増幅"では新曲を含め、ライヴ・パフォーマンスとソングライティングの両面でさらなる深化をみせた。自らの言語表現に音楽と融合した新たなフォームを獲得した彼は、この間ロック・コンサートにおいてもスポークンワーズ楽曲を披露して表現領域を拡張していたが、同時期に制作を進行させていたニュー・アルバムでは、メロディーに導かれて新しいかたちのポエトリーを書いていたことになる。また旅のその途上には、先鋭な言葉と強烈なリズムを擁した"Visitors"作品群のライヴ・パフォーマンスを通じての再訪やその"20th anniversary edition"のリリースという再発見もあった。さらにその前に表現者は、最新作の空気にも通じるフレッシュな創造意欲を孕む"SOMEDAY"のコレクターズ・エディションもリリースしていた。
 
 誰もがそうであるように、佐野自身の心境の変化においても、世界の劇的な変貌が大きな影響を運んだことだろう。奇しくも"In motion 2001"のパフォーマンスの直前に起こった9・11の衝撃は、佐野を否応なく一曲の祈りへと向かわせた。ネット配信で無数の反響を呼んだ「THE LIGHT−光」は、その10日後の"In motion 2001"で披露された唯一のソングとなった。だが、いま最新アルバムで佐野が歌っている光は、あのときの細くて剄い切実な祈りとは少し趣が違うように思える。それは、もっと具体的で晴朗な、確かにここにある、世界を大きく包みこむ陽光だ。
 
 「THE LIGHT−光」から「太陽」へ。「境界線がぼけてく 太陽だけが見えている」と歌ったアルバム"フルーツ"そして同曲をライヴで再訪した"In motion 2001"から、"THE SUN"へと至る道のりのなかで、彼はしだいに人々の生活、毎日の営みの大切さに再び作家としての目を向けるようになってきたようだ。同時に、高度なテンションのなかで言葉と音楽の境界線もまたぼやけながら新しいポエトリー・フォームへと向かい、だからこそかえって明確な意識を前面に出すように、今作の顕著なポップ・メロディーの横溢が準備されたのだと考えることもできる。
 
 メロディーの復権を燦然と謳う"THE SUN"は、どちらかというと孤独な夜の言葉を圧倒的なテンションで炸裂させたスポークンワーズと異なり、月と狂気と寓意の世界から、太陽と青空と日々のことへとその視点を転回させている。言語表現の先鋭化とメロディーへの渇望が同期して、佐野元春の、そして日本語のポップ・ミュージックの表現の可能性を両方向に大きく拓いた、そう感じることは確かな喜びだろう。そして、新しい歌への希望は、このアルバムの余韻のなかに美しく予感される。いま僕らは、夜明けのさきに広がる光をそっと愛おしく抱きしめようとしている。