佐野元春というクリエイターの孤独な闘いの軌跡
志田 歩

  珍しくラテン的なグルーヴに取り組んだ「観覧車の夜」をはじめとして、サウンド面での新生面も確かにある。しかし今回の佐野元春のニュー・アルバム『THE SUN』の僕にとっての第一印象は、久々の新作としては、意外なほど内省的な空気感に支配されたものだった。

 その一因はバンド編成でのアンサンブルを基調としながらも、オープニングの「月夜を往け」などにおけるアコースティック・ギターの繊細なコード・ストロークを聴かせる丁寧なプロダクションにもあるだろう。しかし僕にはそれ以上に、わざわざ「希望」と名付けられた楽曲の歌詞の語り口の背景などに、まさに今生きる者の<希望>の在処を丹念に掘り起こそうとする反映された佐野の心の動きの深さが、内省的な印象を呼び起こしているように感じられた。

 振り返ってみればオリジナル・アルバムとしては、99年8月の『Stones and Eggs』以来約5年ぶり。この間に彼自身としては、デビューからずっと在籍していたエピックを離れ、本作がその第一弾となる新レーベル“DaisyMusic”の設立という動きもあった。またデビュー20周年の企画盤、『SOMEDAY』『VISITORS』のスペシャル・エディションなどもリリースされている。だがそれ以上にこのアルバムには、2001年の同時多発テロ以降、初めて佐野元春が完成させたオリジナル・アルバムだという意味あいが大きいように思う。

 実際、『THE SUN』の初回限定生産盤に付加されているDVDには、アルバムの収録曲ではないにもかかわらず、佐野が同時多発テロ事件に衝撃を受け、急遽ウェブ上でデモ・ヴァージョンを発表して反響を呼んだ「光-The Light」を、2002年5月にレコーディング・セッションしている場面まで収められている。

 そんな意識で今世紀に入ってからの彼の創作活動に改めて注目してみると、『In motion 2001-植民地の夜は更けて』『In motion 2003-増幅』という2枚のライヴ盤を発表するほど、スポークン・ワーズの活動にも力を注いでいたことが分かる。そしてこの二作の両方に収録されていた「ああ、どうしてラブソングは」という楽曲では、<国家よ>というフレーズが使用されていた。『THE SUN』の中の「国のための準備」という曲名が、“ポップ・シンガーとしての佐野”にしては珍しく直接的にポリティカルな表現になっているのは、本作がそうしたスポークン・ワーズの活動を経由して生み落とされたことの何よりの証ではないだろうか。

 インタヴューで佐野本人から聞いたところによると、彼は件の事件の後、いくら楽曲を書いても納得することができなくなり、あえて開き直るようにスポークン・ワーズに取り組んだ後、自分が書くメロディへの信頼を取り戻す機会を得て、本作を完成させたという。こうしたプロセスから浮かび上がってくるのは、<激動する大状況の中で音楽に何が出来るのか>というような一般論ではない。自分の作品に対して確固たる信頼を持ちたいと願う佐野元春というクリエイターの価値観レベルでの孤独な闘いの軌跡である。

 中盤まで内省的な色彩が強かった本作は、疑似ライヴ仕立ての「DIG」から、にわかにアッパーな勢いを増していき、敬虔な祈りのような「太陽」で締め括られる。おそらくこれは今世紀に入ってから、<ありふれた日々>の中にこそ希望の在処を見つけようとした佐野自身の内面のドキュメントでもあるだろう。

 本作における佐野は、何処に希望があるのかという結論を、教祖のように下しているわけではない。むしろ本作のリスナーと同じように、日常の中で希望を求めて一喜一憂する姿を、積極的にさらけ出している。その生々しさがあるからこそ、彼の音楽は僕の日常を伴走する者から届けられた切実な励ましとして響き、届くのだ。