世界のどこにもない滑らかなロックンロールがここに…
高橋健太郎

 滑らかだ。

 遠くから聞いていたら、懐かしさを覚えもする、いかにも佐野元春らしいロックンロール。でも、近づいてみればみるほど、そのきめの細かやかさに驚かされる。こんな風に滑らかな印象を残すロックンロールというのを僕はあまり聞いた記憶がない。佐野元春のアルバムでも、日本の、いや世界中の無数のロックンロール・アルバムでも。

 滑らかな、というのはソフトになった、ということじゃない。洗練された、とか、成熟した、とかいうのともちょっと違う。だったら、それはロックンロールというよりはポップスに近づいて行ってしまう。そうじゃなくて、限りなく滑らかなロックンロール、としか言えないものがここにはあるのだ。

 青臭さやあぶなっかしさだって、残っている。アルバムを聞き進むにつれて、グルーヴやアレンジのさりげない実験もそこここに凝らされているのが分かる。そういうものがなくちゃ、ロックンロール・アルバムじゃないからね。
 
 でも、何をやっても滑らかで、きめ細かい。その滑らかさはちょっとスモーキー・ロビンソンが持っている滑らかさだったり、カエターノ・ヴェローゾが持っている滑らかさだったり、キューバのコンパイセグンドの持っている滑らかさに似ている気もしたりする。
 
 思えば、日本のロックンローラーって、ほとんどの人がベテランになると、歌い方が大仰になって、演歌くさくなってしまうことも多い。何故なんだろう?とずっと不思議に思っていたが、四半世紀を越えて走り続けた佐野元春はまったく違ったところに辿り着いている。それがこの滑らかさだと思う。
 
 世界のどこにもない滑らかなロックンロール。それを聞きたかったら、「THE SUN」に針を落す、じゃなかったCDプレイヤーに放り込むしかない。これってちょっと凄いことじゃないか。