30年目の『VISITORS』再訪の断片
keiji2【再訪のストーリー】
私たちは、ポップソングを媒介(なかだち)にして過去に再訪し、今を生きている。そして、私たちは、自らの経験や世界観で、ポップソングを解釈し、心の中で自分なりにアレンジし、作者の意図とは若干異なるポップソングを創り出し、そのポップソング(自分の詩)によって、人生を創り出している。
闇と光とがひとつに結ばれるまで
クロスワードパズル解きながら今夜もストレンジャー
これはすべての現在に関わりある人々についてのストーリーなんだ
(佐野元春:作詩・作曲 / 「N.Y.C.1983 - 1984」)
【解釈とコミュ二ケーション】
アーティストが、リズムやメロディーをクリエートし、ビートに詩を重ね、パッケージに装飾を加え作品を創るとき、いったい何を考えていたのか? アーティストは、この不思議な音楽にどのような意味を込めていたのか? 私たちは、この回答を特定することは、ほとんど不可能だと知っている。作者の考えを100%知ることなどできないからだ。しかし、同時に私たちは、作品を自らの経験や世界観で解釈することによって、アーティストが何を考え、この音楽と装飾にどのような意味を与えたかを推測することができる。過去でも未来でもなく、私たちが生きている今、この瞬間の世界においてである。このように考えるなら、ポップソングには、「同一性(作者の意図=制作された時代)」と「他者性(私たちの解釈=生きている今)」が共存しているといえる。「同一性」と「他者性」が分かちがたく結びつき、お互いに共鳴(共感)しいていること、これが、ポップソングの本質なのかもしれない。
誰かがどこかで本当のシナリオを陰にかくしている
オレには危険なシルシが見える、君とのコミュニケーション
愛をこめて、コミュニケーション・ブレイクダウン
(佐野元春:作詩・作曲 / 「コンプリケーション・シェイクダウン」)
【メッセージの意味】
ポップソングは、自らについて沈黙し、必ずしも雄弁ではない。むしろ、私たちの想像力によって物語の隙間を埋めることを要求してくる。私たちが、その隙間を自らの言葉で埋めなくてはならないのだ。ポップソングは、私たちに作品の表現や意図について、意味づけるよう駆り立てる。
夜を貫いて吠え続けるのさ Sha be du di da リッチガール
おまえのきれいな偽り、きれいなおまえのそのメッセージ
何がほんとうなのかわからない
But baby I’m alright
In the mixed up confusion
(佐野元春:作詩・作曲 / 「コンフュージョン」)
【存在の理由(人生の意味)】
私たちは、ポップソングに共感し、作品の世界を旅し、作者と同じ心境になるとともに、作品が創られた過去の時代や背景を知りたいと思っている。なぜなら、私たちは、ポップソングによって過去の時代を再訪することで、気づかないうちに「ずいぶんと遠いところまでたどり着いた旅(人生)」の意味について、また、めまぐるしく変化する社会の中で「自分が確かに存在する」理由について知りたいと思っているからだ。私たちは、ポップソングを媒介に過去を訪ね、今を見つめることで、より良く生き、未来のための教訓や展望を得たいと願っている。
数えきれないイタミのキス、星くずみたいに降ってくる
何も分けあえられない、何も抱きしめられない
でも今夜だけは君と輝いていたい
それが人生の意味
(佐野元春:作詩・作曲 /「ニュー・エイジ」)」
【存在とリスペクト=評価】
ポップソングの作者は、各自のコミュニティや社会の中で存在し、同時代の「文化的・経済的・社会的・政治的」な環境に影響され、また、それを反映する「大衆のムードや流行」にも影響を受けることになる。私たちもまた、ポップソングを自身が所属する社会の中で形成された「パラダイムやセオリー」で解釈し、お気に入りの作品をリスペクトする。リスペクトが多い作品ほど、社会に与える影響力は大きくなり、世代を超えて受け継がれて行くことになる。私たちは、好むと好まざるとにかかわらず、結果的に、「次世代にどのようなポップソングを伝え残していくのか」という、責任も負わされている。大げさだと批判されるかもしれないが、あえて言わせてもらう。私たちは、より良い社会の未来や人びとの幸福のために、良質のポップソングをリスペクトすることに、意識的にならざるを得ないのだ。そして今、現に事実として、私たちは『VISITORS DELUXE EDITION』(2014) を手にしている。
「リリース三十年を経て、この作品はまだ有効だと信じている。評価は聴き手に委ねたいと思う。」 (『VISITORS DELUXE EDITION』2014年収録、佐野元春・著 / ハートランドからの手紙:30年目の「VISITORS」より)
【時代の記録】
「ポップソングは時代の表現であり、時代を超えたポエトリー」(佐野元春 / NHKザ・ソングライターズより)
このポップソングについての重みのある的確な表現(言葉)のとおり、ポップソングは、偶然に「社会」のある時代を表現(反映)しているのではない。意図的に「社会」が時代の要求に迫れて、その申し子である作家に創らせた!といえるのかもしれない。そうであるなら、ポップソングの詞・曲・写真・映像(ライブ & PV)の記録媒体は、その社会のある時代を解明(象徴)する一級の歴史資料だといえる。
「ヒップホップが、頭角を現した時代だったね。ラップともいえるかな? すごく激しいものではなく。それはまさに、ストリートやクラブの音楽だった。」(ジョン・ポトカー談 「VISITORS REVISITED - Documentary Now and Then -」より)
「デビュー以来、ソニーと契約して感謝していることがある。それはソニーが音や映像に関して常に意識的だったこと。過去におこなったライブの記録をアナログ・マルチのいい状態で残してくれたことだ。」(佐野元春・著 /ハートランドからの手紙:30年目の「VISITORS」より)
「岩岡五郎が残してくれた写真のおかげで、古くからのファンも若いファンも、どの時代のどのシーンにも、当時の空気感にリアリティをもって接することができる。だから彼には、ありがとうと言いたい。」(佐野元春・著 写真集「MOTOHARU SANO IN N.Y.C.1983」序文より)
(以上、全て『VISITORS DELUXE EDITION』2014年収録)
【未来への挑戦と新鮮な感動】
私にとって、アルバム『VISITORS』への再訪は、なつかしい「青春時代」を訪ねる旅でもあり、本当に心から楽しむことができた。そして、今回の『VISITORS』再訪が、私の未来において出会うであろう困難を、挑戦へと開く助けになったと感じている。
今回の再訪で分かったことは、全ての作品が驚くほど新鮮でクールであり、且つ生き生きとしていて、とても30年も前に創られたとは思えないということだ。それにしても、アルバム『VISITORS』が制作された当時=1984年、いったい誰が想像できただろうか? 30年後のアニヴァーサリーに、アウト・テイクとなった楽曲や未発表の資料とともに最高の音質で『VISITORS』を再訪し、振り返ることになるなんて? Mr. ジョン・ポトカー!あなたのいうとおり、私もまったく考えたことなどなかった。そして、フレッシュにしてクールな『VISITORS』のポップソングに心から感動した。改めて、MOTOとアルバム『VISITORS』(1984) 、そして『VISITORS DELUXE EDITION』(2014) の制作に関係した方々に感謝したい。素敵な旅(再訪)のプレゼントをどうもありがとう。
私たちは日々、仕事に忙殺され、追われるように生活している。そんな中で出会うアニヴァーサリーの作品(企画)は、その世界を再訪することで自分の今を見つめ、こらからの未来(人生)を切り開く助けになると思う。再訪の行為は「失われた記憶や未来の設計図が記録保存されたハ-ドディスク(外部記憶装置)」を手に入れることなのかもしれない。もし仮に、アニヴァーサリーの作品(企画)がなかったなら、日々の生活で、過去(人生)を振り返り、その作品を再訪する機会などないだろう。これからも、アニヴァーサリーの作品(企画)を通じて素敵なポップソングで紡がれる人生の旅(再訪)に出かけたい。そう願っているファンは、私だけではないと思うし、決して少なくはないと思う。- By Keiji2