特集 = VISITORS再訪

それまでの文脈の外に出る

Mitsuhiko Kawase

 週末の午後、東18丁目、ピートのタヴァン。気にいりの席で、彼女は2杯目のマティーニをすすっている。食料品のはいった紙袋を胸にかかえ持ち、黒のベイカーズ・キャップを目深にかむった男が、彼女の前を足早に通り過ぎていく。わずかなスペースに飛び込んできたタクシーに、ウェストバウンドのバスが長く引っ張ったホーンを鳴らす。店のスピーカーからは、小さな音量で、シナトラの歌う「オータム・イン・ニューヨーク」が流れている。

 「ロックンロール・ナイト」のような曲が内包するセンティメンタリズムで聴き手と結ばれることは、つまるところ、後ろを振り向くことになるのではないか、と当時の彼は痛切に感じていたという。前に進んでいくために、彼は、それまでの文脈の外に出なくてはいけなかった。それまでの文脈の内部に立っていた人たちに一旦さよならと言って、彼は来訪者となった。

 それまでの文脈の内部では、冷静な観察者の視点から、彼は物語を書いてきた。小さなカサノヴァや街のブルーバードといった登場人物たちによって、物語は語られてきた。しかしニューヨーク・シティでは、否も応もなく、彼は当事者とならざるを得なかった。語られる物語は、したがって切実な当事者によるものとなった。

 切実な当事者によって語られる物語とは言え、その物語は、けして東20丁目の近所の連中に向けて書かれたわけではなかった。物語は、誰もに等しく開かれていた。だからこそ、ニューヨーク・シティから遠くはなれた街の15歳の少年ですら、その物語を、まっすぐに受けとめることが出来た。

 10人が10人、そこにおなじ景色を見るような歌はつまらないよ、と彼は言う。僕が書いた物語から、きみはきみの物語を見つけてくれ、と彼はけしかける。きみの物語を新しく始めてみろよ、とそそのかす。ザ・コンティニューイング・ストーリー・オヴ・ザ・リトル・カサノヴァ。物語は続いていく。

 ピートのタヴァンのキッチン。
 「なにかを学んでみるかい」
と、彼は言った。彼はイタリア移民の最古参の料理人だ。彼が話しかけているのは、この街に来てまだ1週間だという新入りの男だ。
 「まずはオイルで始める」
フライパンに、エクストラ・ヴァージン・オリーヴ・オイルを、彼はしいた。ヴォンゴレ、唐辛子、そして刻んだニンニクを入れた。蓋をして、強火で、一気に火を入れた。ヴォンゴレが開いたところでワインのボトルをつかみ、ソアヴェ・クラシコを無造作にフライパンに注いだ。ブルーの炎が、盛大に上がった。粗く刻んだイタリアン・パースリーを加えた。最後に小麦粉をまぶしたバターを加え、
 「古いトリックだ、しかしまだ有効だよ」
と、彼は笑顔で言った。

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