宇宙的、内省的、美しい音楽
dan.de.ly.on ひとつひとつにこんなに時間のかかる私と知らなかった。
きっと、確かめてはいないけれど、EPだったっけ、と同じ大きさのパッケージ。LP ジャケットは持っている、25周年もCDサイズもいくつも持っている。あまりの嬉しさに、ずーっと飾ってあれこれ想い楽しんだ3週間弱。聴こう、と決心して、透かしみるようにして開けた。
もちろん「Original」から聴くのだ。半日、繰りかえし聴いた。それでも3回しか聴けなかった。晩秋の日暮れは早い。
それからおそるおそる、何故かいつもおそるおそる、「ハートランドからの手紙」をのぞき見した。まだ読まないでおこう。まっすぐに音楽を受け取りたいから。わたしは洗脳されやすい!
「写真集」を我慢できずにのぞき見した。岩岡吾郎さんはいつも元春さんをすてきに撮ってくださったのだな...って、この方をどんなに信頼し好きだったのか、きっと同じ魂だったのだろう、私は想像した。だってこれは元春さんの好きな自分だ。
元春さんがこんなに人なつこくって一生懸命な人って、私は思ったこともなかった。きっと私は大人になってしまったのだ。いつも自信満々、なんでも楽勝に余裕でこなしているような元春さんが、必死で歌っている。
「ヤングブラッズ」をNHKで聴き、興味を持った彼の初めて聴いたアルバムが「VISITORS」だった。それから数えきれないくらい繰りかえし聴いた中で、一度も思ったこともなかった、必死で現在(いま)に、その場所に、自分のまま向かいあっている、元春さんのリアルなTone、体温を感じるような気がして、私はたくさん泣いてしまった。
大切なニューヨークでの生活だったのだろう。
大事に大事にして来られたのだろう。
「Confusion」はラテンだろうか? 私は、あぁ...って最初思った。冒険に過ぎる! あの当時としては。
ダケド...中盤から...その新しさに気づき、私は元春さんに尋ねたい。どうしてあの頃、これを世に問わなかったのか、と。
どなたかもおっしゃっていたように、元春さんの「VISITORS」は、ヒップホップ、ラップを、東京人である元春さん流の音楽的解釈によって創造した、新しいmusicだと思うのだけれど。元春さんの描いた音楽は、ポップス、歌謡曲の中に今でも新しい、他にないけれど、この音は...聴いたことがない。ないと断言することはできないけれど。...あんまり知らないけれど。デヴィッド・ボウイを洗練、音楽的にさせたようなサウンドみたいに感じる。宇宙的、内省的、美しい。
もともと日本という国は、音楽を四つに分類していたみたいだ。
・子どものための音楽とクラシック
・純粋な邦楽
・Jazz
・歌謡曲、ポップス
(いい加減な知識ですがすみません。お話を聞いてそんなふうに受け取った事です。)
元春さんの音楽家としての素養はもしかすると、日本の分類で言えばJazzだったのかしら、と昨日から疑っている。アート、創造、表現すること。
元春さんの音楽にとって、よいメディア...音質は欠かせない。彼の音楽のデリケートさを充分に伝えるために、良いメディアは欠かせない。
私の耳はプロと比べれば不十分だと思うけれど、目を閉じてその音の世界に身を委ねる時、さまざまに描かれるチューインガムのような音楽、世界観を私は愛して止まない。
ひとつの曲にいくつにも解釈を加えメッセージするほどに彼は豊かであり、一曲は充分にそれに応えられる構造と世界観を持っている。
二十代でこれを今初めて聴きたいなぁ...。
私は、あの頃どんなにか憧れて聴いた美しい音楽と、今も聴く音楽に、それからの私の歩みをいっぱい重ねて、年をとったことに気づいて残念だった。
今、初めて元春さんを聴いたら、きっとみんな自分を反省するだろう。悔しいと思うだろう。驚き、夢中になるだろう。ネームバリューの功罪(ちょっとひいき目ダロウカ)。
いつも初めてのように、あなたの音楽に出会いたい。
あなたはいつも新しいけれど。まるで知らなかったあの時の出会いが一番すてきだったもの。と、想うのは...ちょっとロマンティックに過ぎるから、ずっと大切にしてこられたことで満足している。これ以上何も要らない。ずっと大切にしたい。
音を食べて生きられる生き物になりたい。
元春さんの音楽は美味しい。
素直な感想である。