当時、26歳の佐野と同世代で作り上げた作品
山崎二郎(移動主義者、『バァフアウト!』、『MOVILIST』編集長)2014年、夏。僕は、30年前、「自由に住む場所を変えて、新しい視点を獲得する」という、『VISITORS』から貰った種子を、『MOVILIST』という雑誌の形にするため、『VISITORS』を辿る移動をおこなった。
山々に囲まれた苗場。『フジロック』でパフォーマンスされた『VISITORS』全曲ライヴ。周りを見渡せば、30年前の作品の、ものすごく言葉数が多い歌詞をみんな、演奏に合わせて、口ずさんでいた。
灼熱の予想に反して涼しいニューヨーク。『VISITORS』が録音された、旧〈ライトトラック・スタジオ〉。ジョン・ポトカーとの未発表曲「CONFUSION」のミックス作業。30年ぶりの2人の再会の瞬間に立ち会えたのはとても光栄なことだった。
ふたりのやりとりを聞いて30年前、初めて『VISITORS』を聴いた衝撃が去来した。そして感じた。このアルバムは、佐野元春をプロデューサーとして、当時、26歳の佐野と同世代で作り上げた作品であると。
そこにはレコード会社やマネジメント・オフィスの人間は誰もいない。いや、日本人は佐野以外誰もいない。佐野がバジェットも管理し、全ての決定権を持つ存在としていた。しかも、友達もいないニューヨークで、1人ずつ繋がっていくという過程を経てのレコーディング。要はセッティングされたプロジェクトではないということ。大人はいなかった、ビジネスマンはいなかった、ということが重要点なのだ。
東洋から来たひとりの日本人がニューヨークを「訪問」し、彼が求心力となり、野心溢れる同世代のミュージシャン、レコーディング・エンジニア達が、「誰も聴いたことがない、アンユージュアルなサウンドを作ろうぜ!」を合い言葉に引き寄せられていった。自分たちの新しい感覚を世に問いたい、チャンスのかけらを探し求めてウズウズしていた彼らのパワーが、一気にこの旧〈ライトトラック・スタジオ〉で爆発されたのか!といいも知れぬ感情に揺さぶられた。
ゆえにクレジットは佐野元春であるが、言えば各地から各国からニューヨークに集まった「訪問者」たちのパッションが、プロデューサーでもある佐野元春の采配で活かされたのでは?と思ったのだ。ゆえに、僕らは日本で、また、それまでの佐野の音楽を起点に『VISITORS』を聴いて衝撃を受けたのだが、ニューヨーク、そしてユニバーサルな視点で観ても、このアルバムは「誰も聴いたことがない、アンユージュアルなサウンド」であったということなのだ。
例を挙げれば、「日本語初のヒップホップ」という文脈で語られる「コンプリケーション・シェイクダウン」。この曲はとても複雑な構造でできている。ファンク、ジャズに、前衛音楽もぶちこまれている。それでいてメロディーがあり、ハーモニーもある。韻を踏むというよりリリックはポエトリーだ。そんなサウンドは、当時のニューヨークで他にあったのだろうか? 「日本語初のヒップホップ」でなく、まったく新しいサウンド・プロダクションだったということなのだ。
エクステンデッド・ミックス・ヴァージョンを、当時、ニューヨークのトップDJであったジェリー・ビーンが大箱クラブでプレイして、クラバーたちが普通に踊っているというとてつもなく美しいことがハップンし(その場に居たかった!)、各国の〈CBSソニー〉から「リリースしたい」というオファーが殺到し、12インチ・シングルが世界発売されたという事実が、何より雄弁に物語っている。それも、日本のレコード会社がプレゼンしてでなく、佐野個人が直接プレゼンして、でだ。こんな快挙、誰が想像しただろうか? だが、日本人が作った曲が、しかもダンス・ミュージックが、普通に世界発売されるという感覚がなかった当時の日本では、この快挙は大きく報じることはなかった。。。
このアルバムは新作を待ち焦がれていた状況下、チャートに初登場で1位を獲得した。そして、その後全国でおこなわれたライヴ『VISITORS TOUR』は、追加公演が開催され、大成功を収めた。ここで『VISITORS』が前例を作ったのは、革新性に満ちたアーティーな作品と、ポピュラリティは決して相反することはなく、時に、共存できるということなのだ。その革新性を、頭でなく、ライヴを通して、肉体から、感覚から伝えていく、そして、新しい楽しみを共有していくという作業をおこない、成功させたということも重要点。
それこそが、30年後の今、新しい世代の表現者たちに届いてほしい事実なのだ。最後に、1985年当時、佐野が雑誌『ミュージックステディ』で語った、『VISITORS』のイメージを再録したい。むしろ、2014年の今、とても有効なことではないだろうか?
「例えば男性と女性の問題でいえば、男のドアを叩く女たち、女のドアを叩く男たち。一定の居場所を持たず、自分の目の前にある対象と自由にたわむれる人たち。影から光、光から影へと移動していく人たち、そして境界から境界へと新しい大地を求めて動きまわる人たち。そういった人たちが、訪問者=VISITORSという言葉に込めたイメージです。」
「そして、彼らの属性をみてみると、まず自由であるということ。マージナルな立場にいるということ、社会の中で特に強い立場にいないこと。一定の場所から領土の拡大を図っていかない人たち。自分だけがよければいいといったような、近代のイデオロギー的な個人主義でないもの。あるいは旧来のマスではなくて、小さいけれど良質なコミュニティが密に点在して、それを俯瞰から眺めた時、たまたまひとつに見えるといったようなマスのあり方。僕の心の中にある原初的な意味でのアナーキーさ。僕という個人が外に向けて多様化していくこと、そこにある対象と自由に異種配合していくという積極性。『VISITORS』を作る直前に、僕はそんなことを考えていた。」
(『ミュージックステディ』85年3月号佐野元春インタビューより抜粋)