特集 = VISITORS再訪

国境を越えた音楽の開拓

鹿野 淳

 Mr.Childrenの桜井和寿が、日本で初の「ラップでミリオンヒットを記録したユニット」のラッパーであったGAKU-MCと共にウカスカジーというユニットを組んだ時に、僕は「桜井くんの中にヒップホップの遺伝子はあるのか?」という問いかけをしたのだが、その時に彼が答えたのが、「……僕の中に佐野元春さんはあっても、ヒップホップはないです」というとても興味深いものだった。ここでいう佐野元春とは、すなわち『VISITORS』、もしくは『VISITORS』以降の佐野元春のことである。

 ジョージ・オーウェルが世紀末感を示した小説『1984年』が本当に来てしまった年に、佐野元春は日本のメジャーシーンに初めてラップのアルバムをドロップし、オリコン1位の座を占めてしまった。この年には、1980年に『リメイン・イン・ライト』でロックバンドとして初めてアフリカンミュージックを大胆に導入したニューヨークのトーキング・ヘッズが、『ストップ・メイキング・センス』というライヴアルバムをドロップした。その、映画にもなったライヴ映像の中で、ヴォーカルのデヴィッド・バーンが日本のアパレルブランド「MEN’S BIGI」のけったいなスーツを着ていた。何がけったいだったかと言うと、それはまるで案山子のように無謀なほど肩幅が広いデザインのスーツで、纏ったデヴィッド・バーンは操り人形のようないびつなダンスをステージ上で繰り返していたからだ。

 もちろんこのスーツはデパートで発売されるようなものではない特別な衣装だったが、当時の日本の各ブランドの「肩パッド」のデカさは特筆に値するもので、これは欧米のフィジカルに対する日本の明らかなコンプレックスの結晶でもあった。肩パッドという見せかけのフェイクで、思いっきり強がってみせるデザインだったのだ。僕はその日本ならではのフェイクをアメリカのポストパンクバンドのヴォーカルが変態的な装いで纏って歌う姿を見て、とても自虐的に興奮したことを今でも覚えている。「ニヒリズムから生まれた日本のコンプレックスの結晶なるデザインを、そのコンプレックスの対象であるアメリカのミュージシャンが自虐的に纏うと、こんなにもカッコいいモードが生まれるんだ」と――。

 佐野元春はそんな1984年に、ニューヨークでラップを取り入れながら作ったアルバムをドロップした。ニューヨークという街や「ブレイクビーツ+ラップ=ヒップホップ」は、もしかしたら日本人を快く迎え入れてくれなかったかもしれないが、佐野元春はきっとそういうことを踏まえて勝負しに行ったのだと思う。何故ならば、『VISITORS』は当時のアメリカ東海岸のヒップホップを模倣したものではなく、「アメリカのヒップホップと日本語の歌」、「ニューヨークのストリートと日本の街並み」を批評的なブレンドで繋ぎ合わせた、東京にとってもニューヨークにとっても同時にラジカルな音楽アートだったからだ。それはこのデラックス・エディションのDVDのインタヴュー映像で、エンジニアのジョン・ポトカーが「ハーモニーをつけながらラップするなんて、考えたこともなかった」と驚きを持って語っていることからもよくわかる。

 『VISITORS』は、東京でもニューヨークでもない、ロックでもヒップホップでもない、しかし何よりも「時代」と「今」を射抜くサウンドトラックだった。簡単に言えば、国境を越えた音楽の開拓、それがこのアルバムに佐野自身が課した責務だったわけだ。誰よりも洋楽へのコンプレックスに自覚的で、日本語でロックする難解さを自覚していた佐野元春だからこそ果たせた実験、それが『VISITORS』で、そのことに当時少年だった僕は心底陶酔した。

 当時の日本のロック&ポップアーティストは洋楽、つまり英語詞のロックに距離感と憧れとコンプレックスを持ち続けていたからこそ、いつの時代よりも音楽に対して批評的だったし、いつの時代よりも日本のロックの進化を速めた。『VISITORS』以前の3枚のアルバムで、佐野元春はアメリカのフィジカルかつ王道のロックとブルースを仮借しながら日本語の繊細なビートロックを作り上げ、浜田省吾とは異なる解釈とポップをこの国のロックとして提示した。そしてこのアルバムでは当時の日本にとって最も遠く、そして最も扱い難いからこそ面白いと、アンダーグラウンドで盛り上がりつつあったラップを導入した。実はヒップホップの根底には「テクノ」がある。オリジネイターの1人であるアフリカ・バンバータは大のYMOマニアで、実際に彼のトラックには当時のYMO的なるエレクトロが大半を占めている。そんな、ロックンロールが誕生した時以来の革命的な黒人音楽と僕らの奇妙な連鎖を、佐野元春は知ってか知らずにか、彼なりの文体で自分のものにした。

 ヒップホップを究明したかったわけでもラップで遊びたかったわけでもない、あくまでも今の自分と今の時代をシビアかつ批評的に突き詰めた結果、この音楽が生まれた。そのことこそが、佐野元春と日本のロックの孤高さを生んだのだと、30年後の今、『VISITORS』を聴いて思う。

 
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