[ブルース] 音楽の形式ではなく、もっと曖昧で、もっと得体の知れないかたちで、ブルースは存在しているように思う。どんよりとダーク・グレーに沈んだ心持ち。行き場のないような苛立ちも、ここに分別されてもいいだろう。誰もが自分だけのブルースを持っているはずだ。それは見ることもできず、触ることもできない。ただぼんやりと晴れていくのを待つばかりだ。
[虹] 虹という言葉を聞くと、不思議と、短編集「ゲイルズバーグの春を愛す」の作者ジャック・フィニイの名前を思い浮かべてしまう。彼の小説に虹なんか出てきやしないのに。短編「大胆不敵な気球乗り」の主人公もいつか、虹を追いかけて旅だっていくのだろうか。
[La Vita è Bella] 人生はとても美しい。それはまるでイタリアのコメディ俳優で監督のロベルト・ベニーニの映画のように。奇しくもタイトル(原題)が同じとなっているが両者に関係があるわけではない。あえて言うならば、抜けるような空の青さだけが似かよっている。人生の素晴らしさを表しているような青さだ。
[ポーラスタア] ポーラ・スターとは北極星のことである。などと説明を加えるのは、とても野暮のような気がする。実は、北極星と呼ばれる北の中心に位置する大きな星は時代とともに移り変わっている。ただそれが数年万年毎に替わるのだが。いつの世代においても北極星は、人々の行く手を示す指針であるように思う。
[ビートニクス] この言葉は佐野元春のファンに一番馴染みのあるものになるだろうか。1950年台から60年台にかけて活動したジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグといったビート・ジェネレーションの作家や詩人たちは、佐野に大きな影響を与えた。それは世代の主張であったのだが、第一次世界大戦直後に生まれなくても、ビートニクの精神を継承できる権利はある。ヒップでクールなる感性は、永遠に不滅であるのだ。
[Ship of Fools] 「君と一緒でなけりゃ」の副題から、スタンリー・クレイマー監督の1965年の映画「愚者の船」を思い浮かべてしまった。その後も「ポセイドン・アドベンチャー」など、船とその悲劇にまつわる映画が沢山撮られているが、昔の大型客船は実に象徴的だ。運命をともにし、そこから逃れることができない。それは人生そのものを指し示している。
[Lovers Rock] 今回のアルバム『ZOOEY』には、英語の副題が付けられている。それがとても洒落ていて、もうひとつのイメージを膨らませてくれる。「食事とベッド」のサブ・タイトルは、レゲエのラヴァーズ・ロックにひっかけたものだ。甘ったるいレゲエではなく、スライド・ギターが鳴り響く切ないロックン・ロールに仕上がっているのが興味深い。
[ZOOEY] ゾーイーと聞くと、無条件でフラニーという言葉が飛び出してくる。「フラニーとゾーイー」は、J・D・サリンジャーが1955年に発表した小説のタイトルだ。ホールデン・コールフィールドが主人公の成長談「ライ麦畑でつかまえて」の、さらにその先の物語だと言ってもいいだろう。佐野の作品の中には<成長>がモチーフとして隠されていることが多い。成長する過程をロックン・ロールで代弁しているといってもいいだろう。<誰だって>、というのは君のことであり貴方のことでもあるのだ。