歌の強さについて〜『ZOOEY』を巡って
小川真一

 歌の強さというものは、いったい何処からくるのだろうか。よくそんなことを考えてしまう。勿論の事それは、こえだかに押しつけてくるものではない。さり気なく日常のような顔をしながら勇気を与えてくれる。それが歌の強さだ。心にずしりと響いてくる歌、何ものにも代えがたい存在となる歌、歌そのものの中に魔法のような強靱さを持ち備えた歌。さまざまな歌があり、そこからさまざまな物語が始まっていく。

 今こそ誰もが強い歌を求めている。そんな時代なのだと思う。あの日からすべてが変わってしまい、それは決して前のように戻ることはない。ぼくらは新しい未来のなかを突き進んでいくしかないのだ。だから歌が必要なのだ。歌にすがるわけではない。安っぽく救いを求めるわけでもない。共に走ってくれる歌、時代のあれこれをしっかりと携えながら併走してくれる強い歌を見つけ出そうとしているのだ。

 だからこそ、佐野元春を頼もしく思う。躊躇も困惑も懺悔もあったかもしれない。たぶんそこには、何かしらの責任感のようなものも存在していたかもしれない。さまざまなものを乗り越え、ザ・コヨーテ・バンドとともに新作アルバム『ZOOEY』を運んできてくれた。

 とても自然なアルバムだ。オリジナル・アルバムのリリースは前作『Coyote』から5年9ヶ月ぶりになるけれど、そんな束の間のブランクは感じさせない。熱っぽいリハーサルを繰り返し、その熱気をそのままアルバムに定着したような作品集だ。これまでの作品以上に音楽をすることの楽しみが、存分なまでに詰め込まれている。

 メッセージを伝えるのは難しい。人にものを伝えるのは、とても勇気のいる作業だ。大上段に構え正論ばかりを言おうとすれば、それは人間くささを失ってしまうかもしれない。最近思うのだけれど、佐野の言葉はどんどんとやさしくなっているように感じられる。誰もが分かる言葉を使いイメージを伝えてくれる。組み合わせのそのものには修辞が施されているが、言葉は実に明瞭だ。

 だからこそ、佐野元春というシンガーを頼もしく思ってしまう。この強さはいったい何なのだろうか。隅々にまで、その逞しさが宿っている。佐野はあるインタビューに答えて、信じ続けてることとは「いつの日も誰かがきっと、僕のことを見ていてくれているという感覚」だと応えている。その確信と自信が、そうさせているのだろう。21世紀において、これ以上頑強な歌は望めないと思う。それはもちろんのこと、優しさと愛おしさを心に秘めた強さであるのは言うまでもない。

 アルバム『ZOOEY』の中から気になったキーワードを拾い出してみた。

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[アナキスト] 政府というそびえ立つような城壁が脆弱になってきた今日、<無政府主義>という言い回しは随分と陳腐なものとなってしまった。秩序なき後の静寂にも似た規律。コーマック・マッカーシーが小説「ザ・ロード」で描いたような灰色の世界の中に、アナーキズムは生息するのかもしれない。過激ものに憧れる心情は若者の特権である。その心情を持っていさえすれば、いつまでも若い気持ちを保つことができるだろう。窓を開け放せば、そこから見えてくるものがある。

[ブルース] 音楽の形式ではなく、もっと曖昧で、もっと得体の知れないかたちで、ブルースは存在しているように思う。どんよりとダーク・グレーに沈んだ心持ち。行き場のないような苛立ちも、ここに分別されてもいいだろう。誰もが自分だけのブルースを持っているはずだ。それは見ることもできず、触ることもできない。ただぼんやりと晴れていくのを待つばかりだ。

[虹] 虹という言葉を聞くと、不思議と、短編集「ゲイルズバーグの春を愛す」の作者ジャック・フィニイの名前を思い浮かべてしまう。彼の小説に虹なんか出てきやしないのに。短編「大胆不敵な気球乗り」の主人公もいつか、虹を追いかけて旅だっていくのだろうか。

[La Vita è Bella] 人生はとても美しい。それはまるでイタリアのコメディ俳優で監督のロベルト・ベニーニの映画のように。奇しくもタイトル(原題)が同じとなっているが両者に関係があるわけではない。あえて言うならば、抜けるような空の青さだけが似かよっている。人生の素晴らしさを表しているような青さだ。

[ポーラスタア] ポーラ・スターとは北極星のことである。などと説明を加えるのは、とても野暮のような気がする。実は、北極星と呼ばれる北の中心に位置する大きな星は時代とともに移り変わっている。ただそれが数年万年毎に替わるのだが。いつの世代においても北極星は、人々の行く手を示す指針であるように思う。

[ビートニクス] この言葉は佐野元春のファンに一番馴染みのあるものになるだろうか。1950年台から60年台にかけて活動したジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグといったビート・ジェネレーションの作家や詩人たちは、佐野に大きな影響を与えた。それは世代の主張であったのだが、第一次世界大戦直後に生まれなくても、ビートニクの精神を継承できる権利はある。ヒップでクールなる感性は、永遠に不滅であるのだ。

[Ship of Fools] 「君と一緒でなけりゃ」の副題から、スタンリー・クレイマー監督の1965年の映画「愚者の船」を思い浮かべてしまった。その後も「ポセイドン・アドベンチャー」など、船とその悲劇にまつわる映画が沢山撮られているが、昔の大型客船は実に象徴的だ。運命をともにし、そこから逃れることができない。それは人生そのものを指し示している。

[Lovers Rock] 今回のアルバム『ZOOEY』には、英語の副題が付けられている。それがとても洒落ていて、もうひとつのイメージを膨らませてくれる。「食事とベッド」のサブ・タイトルは、レゲエのラヴァーズ・ロックにひっかけたものだ。甘ったるいレゲエではなく、スライド・ギターが鳴り響く切ないロックン・ロールに仕上がっているのが興味深い。

[ZOOEY] ゾーイーと聞くと、無条件でフラニーという言葉が飛び出してくる。「フラニーとゾーイー」は、J・D・サリンジャーが1955年に発表した小説のタイトルだ。ホールデン・コールフィールドが主人公の成長談「ライ麦畑でつかまえて」の、さらにその先の物語だと言ってもいいだろう。佐野の作品の中には<成長>がモチーフとして隠されていることが多い。成長する過程をロックン・ロールで代弁しているといってもいいだろう。<誰だって>、というのは君のことであり貴方のことでもあるのだ。