削ぎ落とされた言葉の豊かさ
今井智子

   『Zooey』を聴いてまず感じたのは、軽やかなサウンドとポップな曲調をまとった、削ぎ落とされた言葉の豊かさだ。
 佐野元春が何を歌うか、それは新作が発表されるたびに最も気になるところ。ことに3.11以後初アルバムとなる本作には、2年前の誕生日に発表した詩「「それを「希望」と名づけよう」に続くものがあるはずだ。そう思って聴いていると、何度も歌に現れる言葉は「愛」。身近な人と分かち合う「愛」が育む様々な感情や、時間と共に変化する「愛」が次々に現われ、最後の表題曲で「ただ愛されたいだけ」と、その本質を歌い上げる。愛されたいと望む事が生きる原動力になり希望のよりどころになる。

 ジョン・レノンのようだ、と思った。「愛」について、彼ほど簡潔に歌った人はいない。「母」について彼ほど率直に叫んだ人はいない。その面影を「ZOOEY」という曲に見た気がした。

 レトリックを駆使した歌詞を書こうとすれば、佐野ならいくらでも書けるだろう。ここでは逆に、どこまで削ぎ落とせるか試みたようにも思える。シンプルだけれど含蓄のある歌詞から浮かび上がってくるのは、彼が歌う「愛」というものが一人では成り立たないということだ。誰かと触れ合い共に生きることによって愛は育まれる。一方で軋轢も生み、不信や身勝手さをあぶり出したりもするが、生きていれば当然のこと。それも悪いことじゃない、愛があれば。

 臆面もなく「愛されてるって」と歌う率直さは10代の共感も呼びそうだが、「二人を分つその日まで」といった思いは一朝一夕の恋で出てくるものではなかろう。人生の頁を開くように綴られていく愛の歌は、佐野自身の頁を開いているようにも思える。


 シンプルな歌詞がポップなメロディと軽快な演奏で真っ直ぐに耳に届く。ザ・コヨーテ・バンドとの演奏は躍動感に溢れ、前進する力を感じさせる。若手と呼ぶには十分なキャリアのある面々が揃っているザ・コヨーテ・バンドだが、彼等と共にバンドを成長させる過程を佐野は楽しんでいるようだ。6年前にライヴハウスからスタートして先日の国際フォーラムまで進んできたたことを、「このメンバーで初めてなんだ」とステージで嬉しそうにコメントしていた。  深沼元昭(G)、高桑圭(B)、小松シゲル(D)とバンドをスタートさせた時のことを、佐野はこう言っていた。

 「僕が関心を持ったのは、彼等がよいプレイヤーであるのは勿論なんだけど、よいソングライターであり、よいシンガーであるってことなんですよね。上の世代が下の世代の力を借りて何かをなしたという雰囲気は全然なかった。むしろ新しく生まれたバンド、また佐野元春というソングライターの言葉を、いかに音楽化するかに終始した、よいセッションだったと思います」(ミュージック・マガジン07年8月号)

 今回の作品はラインナップも新たにしたバンドとの、前作から一歩進んだコミュニケーションを強く感じさせるものだった。フロントで歌う力量のあるシンガーのコーラスは独特の存在感がある。楽器も同様だ。加えて曲も書く彼等が示す詞・曲への理解力や反応も深みや新味があることは想像に難くない。こんな面々を集めたら普通は舵取りに苦労しそうな気がするが、初回盤に同封されているDVDのドキュメントを見ると互いへのリスペクトが伝わってきて、余計な老婆心など吹き消される。アルバム発表に先駆けて行なわれたツアーでも、佐野を中心にヴィヴィッドな演奏を聴かせていた。現時点では次のツアーは発表されていないが、ザ・ハートランド、ザ・ホーボ−・キング・バンドに続くバンドは、佐野とともに新しいポップ・ミュージックのマイルストーンを記して行くのだろう。