冷静に取り乱す、ひとり相撲の大横綱
Takashi Tsuruta

14歳。
小児科受診の基本的な上限。
刑法41条に於ける刑事責任を問うことができる年齢。
マダガスカルではこの歳から女性が結婚できるそうだ。
少年期から青年期に移る危うく曖昧な精神形態を表すキーワードとして
映画、小説、漫画、その他メディアに取り上げられることの多いその年齢の時に、
その後の人生に大きく干渉してくることとなる重要な二人の音楽人に出会った。

一人はデヴィッド・ボウイ。
メタモルフォーゼを繰り返し
時代を、シーンを翻弄しながら、
踊らされることもあったが常に時代を愛し愛される
稀代の表現者である。

そしてもう一人が佐野元春。
ボウイほど劇的ではないが
彼もまた折にふれメタモルフォーゼしつつ(セルフ・アップデートと呼ぶべきか)、
時代を睨み睨まれながら我が道を往く
稀代の表現者である。

今年44歳になったボクがいまだに彼らに惹きつけられる共通点は、
「自分で作った土俵にしか上がらない。」ところ。
ボウイは様々なペルソナを被り、彼にしかできないシアトリカルなロックンロールを 奏でてみせ、元春は彼以外の何人から発せられようと途端に陳腐または奇天烈に聞こえるものを、
この上なく自然に響かせる言葉を紡いでみせる。

そんなボクが愛して止まない
ひとり相撲の東西の大横綱が
揃って同じ日に新作をドロップした。
元春は6年ぶり、ボウイに至っては実に10年ぶりの新作だ。
リリース日の3月13日は奇しくも元春の誕生日。
ボウイがアルバムに先んじて、10年ぶりの新曲とともに
この新作集のアナウンスをiTunesに突然放ち世界中を驚愕・歓喜させたのは、
1月8日、彼の66回目の誕生日だった。

書いていて自分でもその辻褄合わせの無理やり感に呆れてしまいそうではあるが、
もう少しお付き合い願いたい。

ここからは元春の新作「Zooey」を聴いてみての率直な感想(ここからかよ)。
もう、「かっこいい」という頭の悪い一言に尽きるのである。
しかしこの「かっこいい」には14歳から44歳の30年間色んなロックンロールを聴いてきたボクなりの、
経験に裏付けられた様々な角度からの「かっこいい」が詰まっている。

まずアルバムジャケットのアートワークがかっこいい。
ソリッドこの上ない写真。敢えてサングラスを掛け目線を読ませず受け手のイマジネーションを促しているようにも思える。
ボクはアルバムジャケットというものはそのアルバムの聴き手の印象を決定的に支配してしまうファクターとして重要視しているので、
この剥き出しのアートワークはまさに絶妙だ。ダウンロードでは決して感じることのできない感覚。誰がなんと言おうとボクはパッケージ販売がなくなることはないと信じている。ボクは昭和の心意気は死んでも捨てたくない。

そしてアルバムの時間の長さがかっこいい。
ボクは人一倍集中力のスタミナが足りない。だから所謂大作が苦手だ。
そこへいくとこのアルバム、曲数12曲でトータル52分と丁度いい。
ポップ音楽は、特にロックンロールはもう少し聴きたいと思わせるくらいの長さが やはりかっこいいと思う。また最後の曲が、ヘビーな事をブルースコードにサックリ乗せて、
ロックンロールに仕上げ「後腐れのない」痛快さを残して終わるところが新鮮だった。

そしてバンドとしての在り方がかっこいい。
以前は正直コヨーテバンドの在り方を疑問視していた。
己をリフレッシュする、またはリボーンする為に若い血が必要なのはわかるが、
それならば何故あのメンツなのか。リボーンどころかリバウンドしてしまわないか。
失礼ながら特にギターの深沼氏はボクと同年齢、枕も臭うお年頃だ。
そんなキャリアから考えてもメディアでいうほど「若手」でもないメンツを集めたところで、
そんな驚くほどの素敵なサムシングが得られるとは到底思えなかった。
当時届けられた「コヨーテ」にノレなかったのは、ボクが勝手に期待していた 弾ける感覚をあの作品から得ることができなかったことが大きい。
だがやはり当然といえば当然の如く浅はかなのはボクの方だった。
6年間それこそ嵐をくぐり抜けたバンドの、
言い方は変だが「練りに練られた無軌道さ」は
音としてこの上なく心地よく感じられた。
ボクがロックンロールの必要悪だと思っている
「耳障りの快楽」がそこにあった。
これこそがバンドだということを
6年越しで伝える為にホーボーキングバンドを離れ
彼らを選んだのかとひとり膝を打った。

また、デイジー・ミュージックを立ち上げて以降の曲に
フェイドアウトで終わる曲がないことには前々から彼の
バンドサウンドへのバンド職人とも言うべき拘りを感じてはいた。

そして、送る目線がかっこいい。
多くの人が語るように、このアルバムには
3.11以降の愛がある。
着飾り、盛り付け歪み倒されモンスターのように巨大化したものを
否応なく剥ぎ取られてしまった後に残った塵のように小さな、
しかし雪の結晶のように確かな愛がそこかしこに散りばめられている。
しかし彼は、慰めるでも力づけるでもない。
彼はただ彼の目に写る人に、物になって感じる。そしてそれをポップ音楽にする。
彼の流儀は3.11以前も以降も変わりない。揺るぎない。
その目線がかっこいいのである。

もっと細かい「かっこいい」を上げれば枚挙に暇がないが
これ以上知らない人にしつこい野郎だと嫌われたくないのでやめておく。

最後に、
ボクは一流の表現者に最も必要なことは
「冷静に取り乱す。」ことだと常々思っている。
またロックンロール音楽とは
「冷静に取り乱して見せる。」音楽だと思っている。
佐野元春は一流の表現者であり、
Zooeyはロックンロール音楽だ。



P.S デヴィッド・ボウイの長男ダンカン・ジョーンズのミドルネームは
Zooeyだ。