コヨ−テとゾ−イにまつわる若干のエピソ−ド(自動巻きの腕時計の憂鬱)
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 テ−ブルの上に1週間で10分ほど狂う自動巻きの腕時計がある。この自動巻きの腕時計、電車の乗り降りの時間を気にする人には役に立たない時計だろう。だが、灼熱の砂漠で、極寒の氷上で、暗闇の洞窟や深海ではどうか。消耗期限のある内臓電池やソ−ラ発電式のデリケ−トな電子時計より、動いてさえいれば自分の力で永遠に時を刻む、この古いタイプのシンプルな自動巻きの腕時計の方がたよりになる。荒野をサ−バイブするには、10分や20分の誤差など関係ない。非常な環境は、都市という現代の荒地でも同じだ。

 新作『ゾ−イ』だが、自動巻きの腕時計を愛用するコヨ−テ(男)から贈られた「荒地をサ−バイブするための音楽と言葉の花束」。そんなところか・・・ 作品『ゾ−イ』について語る前に、タイトルの人物ゾ−イとコヨ−テとのエピソ−ドについて、記憶の狂いも多少はあるが少しだけ触れてみたい。以下は物語りであり、歴史的な史実であるかどうかは疑わしい。

 1980年代のニュ−ヨ−ク=マンハッタン。巨大なリンゴと称されるこの都市は、多国籍の訪問者たちにとって、美しく魅力的でありながらも狂気に満ちた荒地だった。世界に開かれた異文化の交差点では日々、多様な文化の接触や融合により、既存の社会構造は破壊され、新たなコミュ二ケ−ションの型が模索されていた。そのマンハッタンのダウンタウンで、コヨ−テとゾ−イは出会った。コヨ−テは、自身をライオンと偽り暮した。ゾ−イは、ライオンが荒れ地を旅するコヨ−テであると、最後まで知らずに死んだ。ゾ−イはコヨ−テをライオンと信じて疑わなかった。なぜなら、音楽に対するコヨ−テの姿勢は時に凶暴で、レコ−ディング・スタジオを右に左に歩き回る様は、サバンナを往くライオンそのものだったからだ。コヨ−テはマンハッタンに住みついてから髪を短く切り、どこへ行くにも短いツバのある黒い帽子を身につけた。その姿がまた、ゾ−イには、たてがみを切り牙を隠した孤独なライオンに見えたのだ。

 コヨ−テの回想では、ゾ−イ自身も当時制作に関与したコヨ−テのニュ−ヨ−クでの作品『訪問者たち』から「日曜の朝の憂鬱」をカバ−し、アレンジを変えて歌っていたと言う。
 「日曜の朝の憂鬱」・・・・作品に収録された楽曲中、唯一のバラ−ドであり、次のような詩。

 ときどき、なにもかもがリアルじゃなく見えてしまうとき
 いてついた「心」君にかくしてしまうのさ
 ときどき、夜が訪れて街の灯りがともるころ
 うつむいた「心」君にかくしてしまうのさ
 ときどき、すべてがなんとなく無意味に見えてしまうとき
 いてついた「心」君にかくしてしまうのさ
 なぜだろう。なぜだろう

 小鳥たちもさみしそうさ
 ・・・君がいなければ
 まるでセンチメンタルなプラネタリウムさ
 ・・・君がいなければ。
 やがてこの街に冬が訪れる
 ・・・君がいなくても
 世界はこのままなにもかわらない
 ・・・君がいなければ
(佐野元春 作詞・作曲「君がいなければ」より一部引用)

 他者を理解し、ありのままの思いを伝え、ともに生きていくこと。たやすい事のようだが、プライドやコンプレックスが邪魔して、実際には難しい大人のコミュ二ケ−ション。それでも、大切な人が傍にいなければ、生きることの喜びは無いに等しい。世界も色あせてしまう。甘いメロディ−に乗せ、マンハッタンの人や街の情景描写も織り交ぜながら「日曜の朝の憂鬱」は、語りかける。曲調や詩の表現は異なるが、新作『ゾ−イ』の楽曲「君と一緒でなけりゃ」のメッセ−ジに近いと言える。
 人間なんてみんなバカさ!と吐き捨てながらも、その絶望の中で「君と一緒でなけりゃ」と憂う。絶望は君が一緒にいることで希望にかわり、この世界で生きていけることにつながる。

 ゾ−イは、ソングライタ−として荒地を旅する表現者の一人だった。その長からぬ生涯の中、80年代のマンハッタンにおいて東洋からやってきたというコヨ−テ(ライオン)と運命的に出会った。ゾ−イにとって、普遍的な人間の感情をテ−マにした「日曜の朝の憂鬱」は、たとえ無責任なメディアの狂言/世間の偏見/為政者の不寛容にとりまかれようとも、どこまでも人間の明るい側面や発展的なモメントを見失わぬよう心に決めて、人間性の美しさを愛し、知性による説得の可能性に信頼をかけようと格闘した『訪問者たち』の心の叫びであり、コヨ−テから受け取った美しい人間性を探求する言葉の花束だったのかもしれない。
 ゾ−イにまつわるエピソ−ドは他にもたくさんあるが、若すぎる彼の死によってその多くは確認する術もなく、ここに記したことも事実かどうかは疑わしい・・・

 今日もまた、コヨ−テはニュ−スペ−パ−をぼんやり眺めた後、ベ−コンとアボガドのサンドイッチを頬張り、旅の支度を整える。腕には1週間で10分ほど狂う古びた自動巻きの時計。その秒針が、この不確かで憂鬱な世界にリアルな時を刻み、踏み出した足もとから新たな歴史の幕が開けられる。世界の果てにたどりつくまで、誰もコヨ−テを止めることはできない。その先にある光景が絶望や憂鬱にさいなまれていようとも。まだ見ぬ荒地の住人にデイジ−の花束を贈り、その花の種を音楽や詩の表現とともに大地に植える孤独な旅。コヨ−テは、ゾ−イがそうであったように、このロング・ワインディングロ−ド(長く曲がりくねった道)に、かつて一度も退屈したことはない。