追記三ヶ月後
柴口勲

 「言葉の内に命があった」のクレジットは、新約聖書のヨハネの手紙1章1節から4節を自身の言葉に変換した一文であるとして。これは更に僕の言語圏で変換すると「私が死んでも残る物の中に私は生き続ける」とする遺言めいた佐野の書き置き、となった。三ヶ月を過ぎて。

 私が死んでも残る物、として佐野は「言葉」をとらえたのではないのか?そして「その言葉の内に命があり私は(君は)その中に生存し続ける」と悟った。その言葉に触れる者がいる限りは。

 では佐野の言葉とは何か?についてだが。それは歌詞ではない。ブックレットに印字された文字通りの言葉だとは僕にはどうにも思えないのだ。つまり佐野の言葉とは歌詞ではなく「音楽」自体を指すのではないのか?メロディラインに寄りそった歌、想いを乗せて発声された歌、アレンジとミキシングがほどこされた歌、よって僕らの内に共鳴する歌、それすなわち「音楽」である。

 ヨハネの手紙は時を経て「言葉の内に命があった」とタイプされ、ワンシーズンほど聴き終えて僕は「その言葉の内に命があり私は(君は)その中に生存し続ける」とタイプした。そして、窓の外からカタカタと聞こえる音はあなたの言語圏で変換されている命の福音だろう。心地良い音だ。