生涯、心の中でずっと抱きしめ続けるアルバム
空風(そらかぜ)

 かつて「サムデイ」を聴いた時、サウンド的にも豊かで素敵な曲なんだけど、しっくり行き過ぎていることにひっかかりを覚えていました。しかしある時、「サムデイ」のシングルのジャケットにボブ・ディランのフレーズが書いてあることや、若干シニカルな思いが裏側にあることを知ることにより、心の中にあったひっかかりが取れ、そこでようやく「サムデイ」を真正面から受け入れることが出来るようになりました。

 そして実はZooeyアルバムも、これにちょっと似た経験をしておりました。

 どれも本当に良い曲だということは、聴けばわかります。でも、何か胸につかえているものを感じていました。初回限定盤ではなく、通常盤を購入していたので、ヒントを見つけるのも困難。だんだん、自分の現実や精神的なことからの胸のつかえかな?気にし過ぎかな?なんて思い込むようになり、深く考えるのをやめて、純粋に、聴くことを楽しむことにしていました。

 ところが2020年、ぴあアプリインタビューの第13回に、『Zooey』アルバムの制作秘話が掲載されているのを目にしたら (私はスクショはせず、要点をメモに残しています)、『Zooey』アルバムがグッと側に近づき、表面だけなぞって聴いていた時には見えなかったものが瞬時に鮮明に見えてきたのでした。

 腑に落ちた感覚と、深い…深い共感。未だに心が離れられないアルバムです。そのうち…また凍てつく暗闇に容赦なく叩き落とされた時に…虫の息の自分がやっとの思いで横たわれるベッド、そんな存在でもあるかもしれません。

 ライブで「本邦初公開!」って聞かせてくださった「食事とベッド」。ものスゴい迫力でライブ映えのした「ビートニクス」。"君"に作者ご本人をつい重ねてしまう「虹をつかむ人」。様々な想いが湧きあがる「ラ・ヴィータ・エ・ベラ」。

 私の中で、特に大事な思いいれのある、あの3曲…、そして切なすぎる曲たち等々、『Zooey』アルバムからの曲は、現在のライブのセトリでもグッとくるポジションで必ず存在しています。

 もちろん、腑に落ちたあの日から、『Zooey』アルバムの曲たちも前向きな意味合いで、正面から受けいれることが出来るようになりました。

 時を経て、2022年のツアーパンフには、『Zooey』アルバムは「最高の"愛"のアルバム」とあります。愛という言葉に「""マーク」が付いている表現がちょっとだけ意味深な気もしますが (笑)、もしかしたらもうこのアルバムに、痛みはないのかもしれません。

 それでも私は、ここにあるブルースを、深い傷痕を、まだ守りたい。『Zooey』アルバムを、ありがとう。