佐野元春『今、何処』

評論 ─ 佐野元春 & ザ・コヨーテバンド『今、何処』『今、何処(Where Are You Now)』と『ENTERTAINMENT!』を巡るテキスト

『今、何処』ー2022年の“ロックンロール”

渡辺 亨

 2022年4月から始まった佐野元春&The Coyote Bandのホール・ツアー、“WHERE ARE YOU NOW”。その各公演の開演前にジャッキー・トレントの「Where Are You Now (My Love)」がBGMとして流れていることを僕が知ったのは、SNS上の投稿からだった。

 「Where Are You Now (My Love)」は、1960年代のブリティッシュ・ポップをリードした一人であるトニー・ハッチが、ジャッキー・トレント(後に2人は結婚)と一緒に作った曲。同曲は、65年5月に英国のヒット・チャートで首位に輝いた。トニー・ハッチは、“英国のバート・バカラック”とも称されたソングライターであり、プロデューサー。それだけに、「Where Are You Now(My Love)」はドラマティックな起伏に富んでいながらも、瀟洒な作風のMOR系バラードである。こんな「Where Are You Now (My Love)」と本作『今、何処』(英語タイトル:WHERE ARE YOU NOW)は、音楽的に直接繋がっているわけではない。また、「Where Are You Now (My Love)」は、自分の恋の行方が分からなくなった女性の心情が歌われているラヴ・ソング。だからこの点でも、「Where Are You Now (My Love)」と本作の収録曲は、ことさら関係性が深いというわけではない。ただし、“Where Are You Now”という一節が、ある種の切実さをともなって聴き手の心に響くという点では、共通している。その意味でも、本作『今、何処』が世界中のさまざまな場所で分断と混迷が続いている2022年にリリースされたことの意義を、冷静に噛み締めたい。

 『今、何処』は、“WHERE ARE YOU NOW”という思いで貫かれた一種のコンセプト・アルバム、と言っていいだろう。本作には、いわば入口と出口があり、その間の色々なタイプの曲が前後の曲と共鳴している。  収録曲のすべてに日本語と英語の曲名が併記されている。たとえば7曲目の「冬の雑踏/Where Are You Now」は、一般的な意味での表題曲ではないかもしれないが、ともあれ、本作の中でも指折りの一曲だ。音楽的には、60年代以降のソウル・ミュージックとフォーク・ロックの架け橋、とでも言えばいいだろうか。佐野元春&The Coyote Bandのメンバー全員が肩を並べ、手を取り合って、冬の雑踏を闊歩しているようなグルーヴがバンド・サウンドによって紡がれている。そしてハーモニカが、暖炉の炎のような温かみと安らぎをもたらしている。一方、「水のように」や「大人のくせに」のようなロックンロールでも、バンド・サウンドはより重層性と一体感を増している。それらのロックンロールの中には、ギター・ソロが鳴り響く「銀の月」や「エデンの海」のような曲もある。ただし、初期の佐野元春&The Coyote Bandと違って、ことさらギター・サウンドが前面に打ち出されているわけではなく、それこそヴォーカルとギター、ベース、ドラムス、キーボードが本当に一体となって迫ってくる。

 ところで、一般的に“ロックンロール”というのは、アメリカ社会の一部が無自覚な脳天気さに彩られていた1950年代半ばに生まれた“Rock’n’ Roll”のことを意味する。にもかかわらず、佐野元春の音楽について書く原稿には、僕は“ロックンロール”という言葉をためらいことなく用いる。指摘するまでもなく、本作に収録されているロックンロールは、脳天気どころか、全体的にシリアス。殊に「永遠のコメディ」は、「SHAME-君を汚したのは誰」(84年の『VISITORES』に収録)と一対になっていると感じるほど辛辣だ。よって一人の聴き手の立場からすると、心がひりひりする。ただ、“Rock’n’ Roll”の肝は、旧弊な社会的価値観に対する疑問と反発心である。それゆえ本来の“Rock’n’ Roll”は直感的で、瑞々しく、清新ですらある。「大人のくせに」がそうであるように。でなければ、“Rock’n’ Roll”は、ティーンエイジャーの共感を得ることはなかった。だから僕は、これまで触れてきた佐野元春&The Coyote Bandの一連のロック的な曲を、確信を込めて2022年の“ロックンロール”と呼ぶ。

 本作『今、何処 』は、一分にも満たない「今、何処」で幕を閉じる。“今、ここ何処/みんな今何処”というフレーズは、単なる自問ではないし、聴き手に対する無責任な問いかけでもない。この「今、何処」は、アルバム全体の流れを確実に受け継いでいる。本作の収録曲は、僕たちの足下を照らし出し、何処に向かうべきなのかを明らかにしている。そして「今、何処」は、前の曲「明日の誓い」の快活なバンド・サウンドと“より良い明日へと歩いてゆく”というフレーズがもたらすポジティヴな余韻を受け継いでいる。この“出口”は一見暗闇のようだ。が、まさしく希望の扉に他ならない。