濁りのない若い感性
今井智子
PVが完成したと連絡をもらい、「純恋(すみれ)」の映像を見て驚いた。ポップでダイナミックなラヴソングを歌う佐野元春は、細身のブラック・スーツにショートカットヘア。初めて見るスタイリングだ。それだけで彼の中にどんな変化が起きたのか、新作への興味をかき立てずにおかない。
このスタイリングから真っ先に連想したのはポール・ウェラー。また60年代に活躍したサム・クックやオーティス・レディングなどのスーツ姿も思い浮かべたが、アルバムのサウンドはフォーク・ロック・テイストをメインにしている。ストレートなバンド・サウンドは、60〜70年代のポップ・ソングが持っているエヴァーグリーンな輝きを今日的に再構築したように思える。
前作『BLOOD MOON』がデビュー35周年という節目にリリースされ、「大人になった」姿を歌ったものと位置付けるなら、今作はその起点より遡った頃の気持ちを蘇らせるかのようだ。「元春レディオショー特別盤」の中でも触れているザ・バーズをはじめ60年代のバンドが持っていた輝きを、この作品も放っている。どんな音楽が、サウンドが、聴くたびにワクワクさせてくれるのか、佐野元春はよく知っている。
パッケージを手に取りブックレットを開いて、また唸った。完成形の歌詞やザ・コヨーテ・バンドのメンバーたちの写真は当然として、レコーディング・スタジオのセッティング図や推敲の後を残す歌詞カードなど、制作過程を見せる素材も掲載されている。素顔、というより身支度をしているところを見せるようなものだが、それをアートとして見せているのが佐野らしい。TV番組「ザ・ソングライターズ」で多くのソングライターと語り合っていたことを思い出せば、楽曲が生まれて育っていく過程や足跡も重要なのだ。制作過程の素材を見せるこのパッケージを手にした人が佐野元春&ザ・コヨーテ・バンドとともにアルバムを完成させていくという意味合いもあるのではないかと想像した。ダウンロードやサブスクリプションがメインとなっている昨今、フィジカルなメディアであることの意味を、このパッケージは改めて体感させる。
宗教的な意味を持つ言葉がアルバム・タイトルだけれど、そのタイトルの曲からは宗教的な印象を受けない。宗教的なものがあるとすれば、自分が心のなかで信じるものを薄れさせまいとする切実な意思だ。それは本作のテーマでもあろう。話の通じない人がいて、名前だけの聖人がいて、できるだけのことをやっても、もつれた災いを招く嘘をつく人がいる。「ヒトとヒトが殺し合う世界なんて(略)信じられない」とストレートに歌うほど暗澹たる気持ちにさせられる時代なのだ。そんな徒労の果てに信じられるものを必死で握りしめている。大義名分を叫ぶ前に大切な人を抱きしめて、そこからもう一度始めることが必要なのではないか。佐野が本作を若い人に聴いてほしいと言うのは、それを感じ取ってほしいからだろう。
スウィートなラヴソングもストレートなステイトメントも、同じ地平にある。ポップ・ソングにはそれを伝える力がある。佐野元春の”マニジュ”は、そうした歌の力ではないかと思う。自分が信じるものを直感的に掬い上げる、濁りのない若い感性を信じたい。
|