Maniju、その不穏なまでに美しき世界
片寄明人(GREAT3、Chocolat & Akito)

 長年のファンなら冒頭の「白夜飛行」を聴いただけで感じるはずだ。そしてその予感はタイトル・チューンである終曲に辿り着いたとき、確信に変わるだろう。佐野元春&ザ・コヨーテ・バンドによる新作「Maniju」は、彼らの最高傑作であり、自らを更新し続け、また新たな地平に立った佐野元春を象徴する作品だ。

 ザ・コヨーテ・バンドが極上のライブ・バンドとしての実力を遺憾なく発揮し、まるでその演奏を目の前で聴いているかのような臨場感あるサウンドで封じ込めた前作「Blood Moon」に対し、より緻密に構築されたスタジオ・サウンドで仕上げられたこの新作。

 「不穏な何かを抱きしめたまま、キラキラと美しく輝いている」、この「Maniju」が内包する魅力的なトーンを、僕はそんな矛盾した言葉でしか表現できない。

 アルバム全体を貫く、その不穏な美しさ、鋭利な感覚には、名作「VISITORS」と共通するものを感じる。しかしかつてと決定的に違うのは、それらが年輪を重ねた賢者にしか表現できない人間への優しさで包まれていることだ。それは「デタラメに散らかったこの世界」をそれでも愛する強さを聴き手に与えてくれる。いまを生き抜くための英知に満ちた正真正銘の名盤なのだ。

 冒頭の3曲を聴いてまず感じるのは、2017年のいま、世界中で新たな音楽的共通言語のひとつとして様々な形で取り入れられているサイケデリックな感覚だ。それはこの歪んだ世界をただ悲観することなく、新たな視点で捉え直すために必須な感覚なのかもしれない。

 サウンド面でそのサイケデリックな浮遊感を醸し出す鍵となっているのが、渡辺シュンスケによるモード的ともいえるキーボード・プレイ。そしてそれを導くべく佐野が編んだコード・ワークは、ギターのオープン・チューニングなども用いたのだろうか、いままでの楽曲では聴いたことのない新たな響きをも感じさせる。それは35年を超えるキャリアを経たいまも、佐野元春が音楽的挑戦、実験を止める気が毛頭ないことを知らしめてくれる嬉しい驚きだった。

 さらにそのサウンドに乗る歌も特筆すべき進化を遂げている。佐野のボーカルと絶妙に寄り添い、時に聴き分けられなくなるほど溶け合った、ザ・コヨーテ・バンドのコーラスは「佐野元春&ザ・コヨーテ・バンドの声」という、ひとつの新しい歌声をここに確立したと言いたい素晴らしさだ。

 それはまるで、ザ・ビーチ・ボーイズやイーグルスなど、名ボーカリストが集った歴史的グループたちが持っていた「バンドの声」のようだ。メンバー全員が優れたボーカリストでもあり、佐野の音楽を敬愛するザ・コヨーテ・バンドだからこそ成し得た偉業だと思う。

 そしてこの「Maniju」は「現代のサイケデリック・サウンド」であると同時に、その言葉から想像される難解さとは無縁の極上なポップ・アルバムでもあることにも注目したい。

 今作を奇跡的な作品だと僕が感じるのは、ここに佐野元春のキャリアのすべてが、見事なまでに込められていると同時に、まったく新しい佐野元春が浮かび上がってくるからに他ならない。

 アーティストにとって、過去の作品というものは指針であると共に呪縛でもある。特に佐野のような、安易に過去の自らを模倣することを許さない者にとってはなおさらだ。

 だが今作で彼がやってのけたのは、かつて自らが施した魔法をまるで万華鏡のように散りばめながら、それを懐古的どころか、この2017年でしかあり得ないリアリティで刻み込むことだった。

 この「Maniju」は長年のファンはもちろん、時代を問わず心に響く音楽を求める若い世代の感性にも強く共鳴することだろう。

 冒頭3曲に続く「悟りの涙」。英国の80’sホワイト・ソウル・グループ「ブロウ・モンキーズ」を彷彿とさせるメロウ・ソウルである。そしてこの曲を洒落た英語のタイトルではなく「悟りの涙」と名付け、「あの人は やってくるだろう ブルドーザーとシャベルを持って」と、並みのラブソングではあり得ない独創的な言葉を乗せるところが佐野元春の真骨頂だ。この一節からも、彼がいままた新たな創作的ピークを迎えていることがよく分かる。

 英国的なメロディー・センスに、60’sモータウンの名曲Mary Wells「My Guy」を思わせるマナーのイントロを施し(ナイアガラ・トライアングルVol.2の名曲「週末の恋人たち」を想い出すファンも多いだろう)、魔法的なアレンジとストレンジな音響で仕上がられた佳曲「蒼い鳥」。

 初期作品が持っていたセンチメンタルな爆発が内包された名曲「純愛」。この曲が嫌いな佐野元春ファンはひとりもいないはずだ。1番サビが終わった後に流れ出すストリングス・シンセサイザーの旋律に、僕の眼からは涙があふれてしまったことを告白しよう。

 「誰もが夢を失い 街の風にさからえず 夜明けの雨に打たれて 冷たい朝に歩いている」という「Strange Days (奇妙な日々)」を思わせる言葉を織りまぜながら、この狂おしい世界に立ち向かう者たちに「もう心配ないよ」と歌いかけ、明日を迎える勇気を与えてくれるタイトル曲「Maniju」。

 「白夜飛行」と対をなす「夜間飛行」。その両者で歌われる同じ言葉、違う言葉の謎。「ダンス」という言葉が放たれた時に感じるこの心の震えはいったいなんなのか。そしていくつかの曲で繰り返し歌われる「あの人」とは誰のことなのか?!

 このアルバムに捨て曲は存在しない。そしてその世界は奥深い。1曲ずつその魅力を詳細に語っていったら、いつまで経ってもこの文章は終わらないことだろう。

 前々作「Zooey」から4年、前作「Blood Moon」から2年振りのアルバムとなった「Maniju」。あまりに時が速く流れゆくこの時代に、佐野元春ほどのキャリアあるミュージシャンが短期間に新作を放ち続けることだけでも凄いことだ。

 しかも彼はこの5年間、アルバムには収録されない配信限定シングル曲として、「トーキョーシック」、「みんなの願いかなう日まで」、「君がいなくちゃ」、「或る秋の日」といった作品をリリースしていることも忘れてはいけない。さらにザ・コヨーテ・バンドの面々が語るには、未発表となっている珠玉の楽曲がまだまだたくさんあるという。その創作意欲はまったくもって信じがたいほどだ。

 そしてこの「Maniju」では自らの音楽キャリアを縦断しつつ、そのすべてをいま歌うべき必然に変えて、新たな名曲群を生み出してみせた。なぜ60代を迎えたミュージシャンにそんな離れ業が可能なのか。その答えを残念ながら僕は知らない。ただ佐野元春にはそれが軽々とできてしまうように感じられてならないのだ。

 リリースを目前に迎え、ザ・コヨーテ・バンドの面々を集めて開催された「Maniju」完成食事会になぜか僕も招かれ参加したのだが、そこで久しぶりに逢った佐野元春は見た目も一段と若々しくシェイプアップされ、エネルギーに満ちあふれ、夜が更けるまで誰よりも饒舌に音楽への愛を語り続けていた。

 恐るべきことにこの賢者であり永遠の少年は、もしかすると新たな恋をしているのかもしれない。またひとつ未知の素晴らしい音楽を見つけて、胸を高鳴らせているのかもしれない。

 佐野元春の存在自体が希望であり、ロックンロールの可能性であり、その未来なのだ。それが僕はとても嬉しい。そして彼の音楽を愛し続けてきたことを誇りに思うのだ。