本当の言葉は、遅れてやって来る
中野利樹 (TOSH NAKANO)

自分の考えた通りに生きなければならない。
そうでないと、
自分が生きた通りに考えるようになってしまう
―― ポール・ブールジェ

月が満ち欠けてゆく
遥かな時の中で
いつだって孤独に
いつだって震えてる
―― 佐野元春「マニジュ」

 言葉は、それが最初に発されたずっとあとになってから、その人に届くことがある。佐野元春の2017年7月の新作『MANIJU』は、その「言葉の遅延」についての楽しく、示唆に富み、勇気づけられる希少な音楽だ。アルバムの真ん中に位置する<朽ちたスズラン>は、僕に次のような事を考えさせた。実際に現実に考えたにもかかわらず、まるでその考えが現実上でなくて、完全な一夜の夢の中の出来事だったかのようにである。<朽ちたスズラン>は、ボブ・ディランの<JUST LIKE A WOMAN>と同じ外観を湛え、同じ音楽上の回廊をくぐっていたのだ。

 単にポップ・ロック音楽の歴史上のみならず、人類の文化史一般における輝ける芸術遺産でもある、ポップ・ロックの60余年史上で最初の2枚組アルバム『BLONDE ON BLONDE』(1966年) の<JUST LIKE A WOMAN> (=いかにも女性のように) の中で、当時あと1週間で25才だったボブ・ディランは、自分の言葉と音が50年後以上あとにも大切な意味を持ち続ける事など知らずに、あるいは、ただその事だけを知りながら、こう歌っていた ――

再び出会ったなら
人にはただの知り合いとして紹介してほしい
2人が付き合ってたとは
どうか言わないで

 ディランは、歌詞の文句の通りを彼女に伝えようとしたのではなかった (=当時の恋人だった実験的ニュー・シネマの短髪の女優旗手イーディ・セジィウィック。発掘者アンディ・ウォーホールの当時の恋人でもあり、通称ピーターパン・ガール。ディランとウォーホールとの間で迷った彼女はウォーホールを選び、ディランと別れるが、のちに後悔・衰弱し、ドラッグ過剰摂取の急性心不全で5年後に死亡。享年28才) 。反対だったのだ。セジィウィックへの並外れて深い理解と愛情が、ディランの心情の吐露を、歌詞上で真逆にさせていた。吐き捨てた「大嫌い」が必死の「大好き」であるように。「どうか言わないで」に続く1行が、通常のポップソングの歌詞を超えて聴き手の内部に届き、その内部の何かを深くえぐる ―― 『君と同じ世界で過ごせていたからこそ / 僕は / 僕自身でいられた』。

 そしてその真実の1行は、さも最初からそこに存在しなかったかのように、従ってさも誰にも聴かれることがなかったかのように、この曲を貫く共通の、以下のコーラスによって、いとも簡単に、いとも美しく拭い去られていった ――

彼女は
いかにも大人の女性のように受け取る
彼女は
いかにも大人の女性のように愛する
彼女は
いかにも大人の女性のように痛む

だけど彼女は
まるでただの女子のように壊れる

 25才に1週間だけ足りなかった早熟の青年ディラン (その若さにもかかわらず、当時の欧米で彼は「ダンディ」と呼ばれていた) は、そのコーラスと<JUST LIKE A WOMAN>の全体に、『BLONDE ON BLONDE』の隅々に、1つの人間の普遍を、褪色しない未来永劫を記録していた。50年後に人々のコミュニケーションの手段やあり方が進化して (退化して?) 変わっても決して変わらない人間固有の苦悩と孤独と選択と啓示、それより遥かに多数の狭間の停滞と惰性と曖昧を、独りの濃い時間にふと気付けば真横に居座り続けている自分の奥底の果たされなかった純粋と果たされ過ぎた漂流との頑固な葛藤を、ディランは「そんなこと何も考えてないよ」という具合にさりげなく、しかし不変に、永遠に音楽化したのだった。

 50年後に<JUST LIKE A WOMAN>をいま聴いて、涙が不意にこぼれるならば、流れるままに流せばいい。僕もその1人だ。ただし流す対象は<JUST LIKE A WOMAN>の「君と僕」にではなく、その曲を50年後にいま聴いている自分の現在の美的世界、自身の今の現実世界に対する有限の、真新しい涙としてである。

 その<JUST LIKE A WOMAN>と同じ流儀のゆったりした流麗なカデンツをサブコンシャスにもサブリミナルにも用いた<朽ちたスズラン>の中で、佐野元春はその有限の真新しい涙を、ディランにもまったく予想外の異なるベクトルに向ける ――

心が通じない人もいるんだよ
いいんだよ
もう 忘れよう
―― 佐野元春「朽ちたスズラン」

 「心が通じない人」。それは2017年の夏的には、例えばドナルド・トランプであり、安倍晋三であり、僕やあなたのカンに障る誰かであるのだが、何より以上に、それは最後に「私の中のわたし」である。この曲は「個人の中の迷いと過ち」について、まるでそれが迷いや過ちなんかじゃないかのように語る。優しく、達観し、諭し、そっと静かに考えさせ、去る。そう語ることで、その迷いと過ちを際立たせる。個人内部の混迷や立ち止まりが、その無意識と無知覚の集合が、いかに日本と世界の現在と明日を、そこに生きる人々の現在と明日を、その空気感を、否応なく、逆らいようのない閉じたプロセスとともに日々不可避に、不可逆に形成しているのか。佐野元春の、まるでマルチ・フレンドリーとも言える友愛と連帯のヴォーカルは、この曲を聴く人がその空気の功罪を無意識レベルにまで落とし込めるほどにナチュラルに、自然主義的に進んでいく。

 「スズラン」とは英語では「谷間に咲くリリー(=百合) =lily of the valley」であり、百合の別の意味は「純潔、純白」。歌詞中には一言も出てこないけれども、その純潔と純白は「朽ちた」。それが2017年現在の日本の美的記号の写実的風景、心のスカイツリーからの俯瞰図なのだと佐野元春は、<朽ちたスズラン>は告げる。『いいんだよ / もう 忘れよう』。それは歌詞通りの反方向そのままに語る一方で、正と新の方向に向けても同様の効力を保って語る。佐野元春は、その効力の方法を熟知した上で歌い、同時にその効力の方法を全然知らないかのようなふりをして歌う。だからこそ、その自然主義的アプローチは、聴く者それぞれの内側の反自然主義とぶつかり、消しがたい爪痕と残骸とを内側に刻ませる。我々がこの地で生きている限り。僕たちの子供達が、その地で生きていく限り。この曲は「あなたはいま、そもそも自分自身と心が通じているだろうか」と最終的に問いかける。

 <朽ちたスズラン>に限らず、『MANIJU』の全篇は、穏やかでは済まされない人生上の美的思考の破綻と崩壊の兆しを、暖かく、堅実に、地に足を着け、決して最前面には出て行かずに、しゃしゃり出たりはしないで語る。まるでその考えや審美、物語が、人智を超えた1つの屈強な自然物、何人にも抗えない森羅万象の1コマ、その切り抜きの壮大なクリップであるかのようにだ。人々の個別の足踏みと反復と通過。その無痛の累積への今日的な知と精の処方箋、それが『MANIJU』で展開される12篇の、時の湖面に自ら翔び込んだ詩篇の韻律、消去されざる声と音の、誤配されざる書簡の筆致である。

 『デタラメに散らかったこの世界で / 行きたい場所は / 自分で決めるさ』。<新しい雨>の中で、その歌詞は他の歌詞と同等のアクセントで分け隔てなく歌われ、聴く者にはそれが今週の自分宛ての書簡だとは初めは分からない。デタラメに散らかった世界、それは木曜の燃えるゴミの分別や隔週の乾電池の回収漏れではないし、行きたい場所とは週末の行楽・外出先の検索思案や旅行の急な日程変更だけでもない。その散らかった世界の中央から、1つの声の束が聴こえる。「目の前の生活だけを精一杯楽しく送って何がいけない?」。

 歴史の中の操り人形、世の中の客体としてでなく、自分の生を「時の主体」としてとらえ、受け止め、その操り人形の劇場主として生きさせようとする意志、努力、眼。それらが2017年の夏現在、いかにそれぞれの自己の実現を契機から遠ざけ、自分を自分からそらし、今日の追認と明日の即席を誘う脆弱な、困難な意志、努力、眼であるのか。もちろん現実には、ほとんど誰もが、その脆弱と困難に甘んじはする。自分が生きていかなければならない領域と境界は、1人1人、すべて煩雑に違っているからだ。けれども、音楽というものは、もしもそれが優れていれば、1つの音、1つの声が、もう1つ別の、心の声と音を導き出す。生きる比喩、気づきと希求、チカラの物語である。

 <新しい雨>と『MANIJU』は、その脆弱の困難の実際的な価値を、1人1人が全員違う生の物語として差し出す。ボブ・ディランの『BLONDE ON BLONDE』よりさらに15年前の1951年、テオドール・アドルノは、いまや世界各国の大学機関の指定図書にもなっている名著『ミニマ・モラリア:傷ついた生活の省察』の中で、その困難と価値について苦々しく、英雄的に、そして何より誠実に書いていた。『もしも人生の本当の意義や意味、すなわち人生の真理を直接に知りたいと思うのなら、普段は遠ざけられた形のものに目を向け、独り吟味しなければならない』。

 『MANIJU』のフレンドリーかつ鋭敏な音と声の世界は、アドルノが66年前に喝破し後世に伝えようとしたその「普段は遠ざけられた形のもの」への無期限のパスポートとして機能する。『本物の聖者は口をふさがれ / 見せかけの聖者が / しゃべりまくる』。ビートルズと同じ土地リヴァプールで、ビートルズより1年近く早く結成されながら「第2のビートルズ」と呼ばれ続けたサーチャーズの不朽の古典曲<NEEDLES AND PINS>(1964年) の印象的なギター・イントロを反転増幅させてビートルズ<DAY TRIPPER>(1965年) のエッセンスへと引き継ぎながら、<現実は見た目とは違う>はわずか2分48秒でもって、アドルノの遺言をポップ・ミュージックの様式のすぐ内側に折りたたんで見せていく。『いつだって現実は / 見た目とは違う / いつだって真実は / 見かけとは違う』(佐野元春「現実は見た目とは違う」)

 佐野元春のヴォーカルの韻律は、ベールのような多重のヴォイスを伴ってあたかもサウンドの複合モンタージュのように素早く動き、手短に伝え、足早に走り去る。この曲は、CD上できっかり2分48秒でなければならない。それ以上だと飽きられ、それ以下だと伝わらないからである。それが2017年夏の、それ以降の、デタラメに散らかったこの世界の時間の刻みなのだ。

 『MANIJU』のカバー・デザインには、色とりどりのたくさんの花と実で出来た深いタム帽子状のデコをまとった女性が、ひとすじの涙とともにポートレイトされている。その簡素で複雑な美しい横顔は、16世紀ミラノの珍奇肖像画家ジュゼッペ・アルチンボルドの四季の4部連作『春・夏・秋・冬』(1563年、ルーブル美術館) の最初の「春」を、同根対比的に思わせる。アルチンボルドの挑戦的でグロテスクな華々も、『MANIJU』のピュアでエレガントな花々も、じっと眺めていると、どちらもその花々が、自闘と自悶の中に実を付けた芳醇なる意志のフルーツに、それぞれの花の香りを自らの内に漏らさず収めた、代替なき無二の、静かなる生の果実のように見えてくる。

 その生の果実、意志のフルーツが<白夜飛行>と<夜間飛行>の2曲で象徴的に展開提示される。佐野元春は2つの曲にほぼ同じ歌詞を用い、2曲間のキーをずらし、「完全には違わないけれども相当に違っているメロディ」に「少しだけ違う歌詞」を乗せていく。伝わるのは<白夜飛行>の夜明け、<夜間飛行>の真夜中である。人の心の状態は1日の時間帯のうちで、季節のうちで異なる。変わりうる。けれどもその2曲が本当に伝令するものは、どちらであっても、同じその人の時間帯と季節であるということだ。影と光。冬と春。どちらであっても、それは同じ自分。1人の自分。好きかどうかは言えないけれど。正しいかどうかは分からないけれど。真夜中と夜明けの2つの飛行する果実が、2曲を聴く人の季節と時間帯に語りかけ、自闘と自悶、自答と自問、それらを補う2種類のサウンドのビタミンを作り出す。

『翌日、私はミュンヘン行きの飛行機に乗った。記憶の中で、エディ・コンスタンティーヌ (フランスとドイツで名を成した知られざるアメリカ人俳優) との出会いは、比類なく豊かな、密度の高い体験として感じられた。それは強烈な映画を続けざまに観た後や、何日間か熱に浮かされた憔悴状態で沢山の事を経験した後の感じに似ていた。すべてが明確でくっきりと際立っているように思えるにもかかわらず、後になってみると、1つ1つの細部をそこから取り出すことが、なぜか出来ないのだ』。 ―― ヴィム・ヴェンダース 『エモーション・ピクチャーズ』 (1989年)

 ヴェンダースの一節は、彼と同じドイツの美術史家アビ・ヴァールブルグの言葉、『美は細部に宿る』を想起させた。不思議な事にこの名文句の出典は今も未決着のままで、アメリカではモダニズム建築4大巨匠の1人、ミース・ファン・デル・ローエのものとされてもいる。ローエもヴェンダースやヴァールブルグと同じドイツ生まれながら、ナチス時代の迫害でアメリカに亡命し、後年シカゴで亡くなっている。けれども、その細部の神に出番があるのは、そもそもそこに「大部」が併存している場合である。『MANIJU』にはその「大部」が最初からほとんどないのだ。このアルバムの大半は、数限りない細部のみで出来ている。ポップ音楽の構成上の記譜用語であるAメロ、Bメロ、ブリッジ、サビといった型通りの展開説明が、『MANIJU』では通常通りの意味を成さない。

 ヴェンダースとヴァールブルグ、ローエの3者は、おそらく異口同音にこう言っていた。『真に素晴らしい瞬間は、当人の感激ほどには、実はあまり思い出せず、再想起や追体験が出来ない』。理由は「あまりに夢中でいる時、人はその夢中を記憶に固定させる客観作用を発動しない」。出来ないのだ。このアルバム『MANIJU』が本当に立脚し、根ざしているのはそこである。夢とうつつ、その境目。ルー・リードのライヴ版<TELL IT TO YOUR HEART>(2004年) の親愛と包括の薄暮、ジャクソン・ブラウン<LOVE NEEDS A HEART>(1977年) の時の流れに耐えるシンプルな精神と心のかすれ、ビートルズ<FREE AS A BIRD>(1995年) の時空をまたぐ調和の転換を背後に再想起させながら、アルバムの表題曲であり、その輝ける最終曲でもある<マニジュ>は、その夢とうつつの境目からゆっくりと現れ、ゆったりと進み、威風堂々と歩みを続ける。そしてそうしながら、その最終曲は自分自身の回廊を切り開き、通り抜け、デタラメに散らかったこの世界の時間の刻みから、素晴らしく、美しく、見事に逃れる。

明日になったら
心のシャツを着替えて
確かな場所まで
手を取ってゆくよ
―― 佐野元春「マニジュ」

 マニジュ=真尼珠。仏の骨や骨格が意思を伴って変化し、あらゆる望みの可能性を大きく切り開くといわれる全能の殊玉である。これに相当する英単語は「THE PEARL」。ただの真珠ではなく、非常な質量と重力とを放つ「THE」が付いている。その非常なる生への重量が、歌い手である佐野元春のソウルのノドに、聴き手である僕たちの脳の心臓に、LIFEの深き細部へのザイルとフックを授ける ――

誰もが夢を失い
街の風に逆らえずに
夜明けの雨に打たれて
冷たい朝を歩いてる

雨上がりの曇り空に
レンゲの花がなびいてる
賑やかにざわめく街では
聞こえない声にあふれてる
―― 佐野元春「マニジュ」

 冒頭で引いたポール・ブールジェの時空を超えた対句が伝え遺した通り、2017年夏の日本に生きる僕たちは、今この瞬間も、常に「自分が生きた通りに考えてしまう」瀬戸際に立っている。学校の教室や講堂で、職場や出張先、外出先、自分の部屋で。<マニジュ>と『MANIJU』は、人の人生は「あとづけ」ではなく「まえづけ」であるべきなんだ、誰もがそうあれるはずなんだと語りかけている。時に、生徒の理解を超える世界を教えてくれた教師のように、時に、心から尊敬するあの人のように。今日会った友や仲間、明日抱きしめる恋人のように。毎日顔を合わせている伴侶や、2度と会えない恩人のように。いつか出会う、もうすでに出会っている、運命の誰かのように。

明日は今日よりも強く
振り向かなくても いいんだよ
―― 佐野元春「マニジュ」

 もう心配ないよ ―― <マニジュ>と『MANIJU』は、威風堂々としたまま、その始まりと同じままで、ゆっくりと姿を遠ざけていく。人々は、自分に与えられた生のどこかで、あるいはその生の間じゅうずっと、自分に訪れる区切り、変わり目、転換点を、そっとひそかに待ちながら生きている。それが「あとづけ」であれ、「まえづけ」であれ。日々の受け身であろうと、意思の積極であろうと。深夜の部屋の真ん中にそっと座り、明かりを薄暗くして、その事を思い、次の日に部屋を出て歩き、動き、たどり着いてまた思う。自分を考え、時には人を考え、誰かを考え、そしてまた自分に戻る。世の中へと、世界へと毎朝出向き、その日の終わりに元の自身の中へとまた還っていく。多分、最期の瞬間まで、ずっと。多分、あの有限の真新しい涙は、そこで終わる。けれどもその有限の「始まり」は、誰もがみな、自分で探さなくてはならないのだ。1563年も1951年も、1966年も1989年も、2017年も。言葉は、それが最初に発されたずっとあとになってから、その人に届くことがある。その遅延をつかまえるたびに、人は自分になっていくのかもしれない。置き忘れた射光の詩篇、遅配された漂流の書簡のように。マニジュのように。今日よりも強い明日のように。