ペシミズムの向こう側に突き抜ける爽快感
大谷隆之
Maniju──何という魅力的な響きだろう。謎めいていて、それでいて温かい。心が挫けそうになったとき、そっと呟くおまじないにも聞こえる。マニジュ。マ・ニ・ジュ。
もともとは仏教の用語で〈摩尼珠〉と書くそうだ。誰もが内に秘めている、美しい厄除けの玉を指すという。あるいはそれは、今作に収められた12の楽曲が、より本質的な部分でビート文学に近付いたことと関係しているのかもしれない。
1950〜60年代に活躍したビート詩人たちが、自らと深く向き合う禅の思想から、創作上の多大なインスピレーションを得ていたことは広く知られている。同時に彼らは、しばしば路上に赴き、“放浪者(ホーボー)”的な視点で社会を見つめ続けた“観察者”でもあった。
真摯な内省と、イマジナティブな言葉を駆使した現実への異議申し立て。ビート・ジェネレーションの特徴とも言える2つの相反する要素は、佐野元春 & THE COYOTE BANDの4枚目のアルバム『Maniju』ではより高い次元で響き合い、(ここが重要なポイントだが)純粋なポップ・ミュージックとしてゴキゲンに鳴り響いている。アレン・ギンズバーグを始めとするビート詩人たちの影響を強く受けつつ、日本語による独自のロックンロールを創造してきたアーティストの、まさに面目躍如たる1枚と言っていい。
なぜ佐野元春は、2年ぶりとなる新作のタイトルにManijuという言葉を選んだのか。本当のところはわからない。ただそれは、少なくとも僕にとっては聴き手の魂を励ます秘密の呪文のように力強く感じられた。マニジュ。マ・ニ・ジュ。これまで世に問うた16枚のオリジナル・アルバムのどれとも似ていない不思議な語感──。その温かな響きは、カラリと突き抜けた本作のサウンドや、状況をクールに見据えつつもどこかポジティブで軽やかな歌詞の世界観と、深いところで呼応しているように思える。
2015年7月にリリースされた前作『BLOOD MOON』の根底にあったのは、急速に息苦しさを増し、排外的になっていく時代への危機感だった。発表されたのはまさに、安全保障関連法案が衆議院を通過し、それに反対する人々が大挙して国会前に押しかけていたタイミング。たとえばアルバムを象徴する楽曲の「紅い月」では、愛や自由など大切な何かが簡単に踏みにじられるなか、血で染めたような真っ赤な月が禍々しい光を放っている風景が、タイトなロックンロールに乗せて歌われている。この曲だけではない。全編にみなぎる怒りと絶望、警鐘を鳴らす意志の強さはおそらく佐野元春のキャリアを通じても随一で、研ぎ澄まされた感覚はそのままソリッドなアレンジとなって表現されていた。
一方、本作『Maniju』の音にはどこか吹っ切れた明るさがある。初めてアルバムを聴いた際、僕の心を強く捉えたのはむしろ優しさと包容力、目の前の〈君〉と寄り添おうとする強い気持ちだった。言葉とビートを武器にしてペシミズムの向こう側に突き抜ける爽快感とでも言おうか。それは1曲目「白夜飛行」から、はっきり伝わってくるはずだ。
曖昧なグラデーション
眩い光
目を開いて一歩前に前進
大事な君と
ありふれた退屈
暖かい憂鬱
そうさ、今すぐ災いを縫って
気休めのダンスに出かけよう
大事な君と
(「白夜飛行」より引用 作詞・作曲:佐野元春)
2本のギターが織りなす軽やかなリズムと、音数を絞ったシンプルなベースライン。余裕に満ちたドラムと、柔らかい音色で全体を包み込むキーボード──。自分も光の中へ飛び出していきたくなる、混じりっ気なしのロックンロールだ。ちなみに歌詞に出てくる〈目を開いて一歩前に前進〉という一節は、彼らの実質的なファースト・アルバム『COYOTE』(2007年)の1曲目に収められた「星の下 路の上」からの転用。同じく〈大事な君〉の一節も、前述した「紅い月」の重要なキーワードとして使われている。つまりこの曲自体がTHE COYOTE BANDの継続性──変わらないスピリットを明示してるわけだが、そこに漂うムードが明らかに新しい。この時代を荒れ地に見立てるというTHE COYOTE BANDの基本姿勢こそ変わらないが、演奏は開放的でリラックスしており、どこか遊びすら感じさせる。まるで〈災いを縫って〉出かける〈気休めのダンス〉こそが〈野蛮な時代〉に対する最高のレジスタンスだと言わんばかりに。
もちろん『BLOOD MOON』の2015年と比べて、状況が好転したわけではない。むしろ一国のトップに立つ者たちが平然と嘘を重ね、為政者によって個人の内面が土足で侵されかねない法律も通過して、未来はより不透明になっている。ソングライターとしての佐野元春が誰より鋭敏にその空気を感じとっているのは、本作の詞を読めば明らかだ。たとえば畳みかけるような対句法で、〈本物の聖者〉と〈見せかけの聖者〉を比べてみせる「現実は見た目とは違う」にしても、心のない指導者を〈あのひとは月影を隠して闇を作るだろう/言葉を巧みに変えて憎しみを煽るだろう〉とストレートに指弾する「朽ちたスズラン」にしてもそう。そこには冷静な現状認識があり、静かな怒りと諦念が見てとれる。
2017年5月、佐野元春は自らの公式SNSに「僕の蒼い鳥がそう言っている」という短い文章をアップした。そこで彼はスーザン・ソンタグの言葉を引用しつつ、政府が進めていた共謀罪の危険性についてはっきりと指摘している(この件について明確な意思表示をしたアーティストは、僕の知る限り数えるほどしかいなかった)。だが、アルバムに収められた「蒼い鳥」という曲は、趣がまるで異なっていた。ゆったりしたアコースティックギターと優雅なストリングス、鼻歌のようなメロディーで歌われるのはこんな言葉だ。
自由に唄う
思いのままに
どんな時代も
どんな場所でも
街を越え
人混みを渡り
やりたいことは
なんでもする
(「蒼い鳥」より引用 作詞・作曲:佐野元春)
4曲目に入っている「悟りの涙」も忘れがたい。〈あの人はやってくるだろう/ブルドーザーとシャベルを持って/あの人は押しつけるだろう/君の怒りの涙を踏みにじって〉と歌われるこの美しいミディアム・バラードを耳にして、僕が真っ先に思い浮かべたのは辺野古や高江の強制執行だった。
君が泣いた夜
僕も泣いた
遠くで見守って祈る
手を伸ばしても届かない
(「悟りの涙」より引用 作詞・作曲:佐野元春)
描かれているのは、圧倒的な理不尽を遠くから眺めるしかない口惜しさ。だが、その深い悲しみがアーバン・ソウル風の洗練された演奏に包まれ、印象的なストリングスのリフレインで彩られると、リスナーにはどこか違った風景が見えてくる(THE COYOTE BANDのメンバーたちの素朴なコーラスも、連帯を感じさせてむしろ好ましい)。マニジュ。マ・ニ・ジュ。挫けそうな魂を鼓舞する温かい響き。困難な状況から決して目を離さずに、自分なりのステップを続ける強さ。『Maniju』という新作が備えている本当の素晴らしさはそこにあると、僕は思う。
アルバムの掉尾を飾るナンバーは「マニジュ」。複雑な転調を繰り返しながら、孤独なこの世界で君にあえたことを祝福する、とても美しいラブソングだ。サビのフレーズで、佐野元春はファルセット・ヴォイスを振り絞るようにして、こう歌う。〈君は僕のスタア〉
マニジュ、Maniju、摩尼珠──。禅の言葉で、誰もが心に持っている美しい〈玉=スタア〉。あなたにとっての「大事な君」の手をしっかり握りしめたまま踊り続けなさい。野蛮な世界を生きるすべてのリスナーに向かって、このアルバムはそんな風に語りかけている気がする。そしてそれは、荒野のような現代をサバイブするために、僕が一番必要としていることでもあるのだ。
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