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取材・編集:今井 'KenG' 健史・森本真也
デザイン・撮影:コヤママサシ
編集協力:M's Factory
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「MOSTLY MOTOHARU」を制作したストレンジ・デイズの編集長・岩本晃一郎氏は、今回の書名にした理由をこう語っている。+++「最初に考えた名前は『佐野元春コンプリートブック』。でも、コンプリートブックは佐野さんが走り続けている以上は絶対にできない。そこで“佐野元春に限りなく近い”という意味で「MOSTLY MOTOHARU」にしたんです」。+++今回のこの書籍化は「データが溜まっていくスピードが普通のアーティストより速い」佐野元春に関する研究成果の“第一弾”だという。その完成を祝って行われた元春と岩本氏の対談は、ゴールデンエイジ・オブ・ポップスをまさに「食べてきた」二人による充実のロック談義だ。+++付録CDに収録されるその模様から、特別にエッセンスをテキストでお届けしよう。
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岩本 ● |
80年代から佐野さんの音楽を聴いていた僕でさえ、今初めて知ることが多いんですよ。佐野さんの作品には、本当に巧妙なくらい「暗号」が組み込まれているわけです。それが時代とともに何となく分かってくるという。今回「MOSTLY MOTOHARU」はデビューしてほぼ25年という軌跡をまとめた本になるんですけど、これは今後5年、10年経っていくもののテキストの元になればいいなという感覚ですね。
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佐野 ● |
素晴らしいことだよね。それと同時に光栄なことだよね。
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岩本 ● |
僕もその暗号の中で気付いたこと、佐野元春という人はブラックジョークの好きな人なんだなというのが……。本当に佐野さんはコメディに詳しいですよね。
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佐野 ● |
そうですか?
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岩本 ● |
逆に言うと、コメディアンでも言わないような、時には辛辣に、時には本当に意味の無いことを並べたりとか、僕たちをよく迷わせている詩を見るとね。そして後になって「あっ、そうだったのか」という発見があったりとか。この本を作って、僕は本当にたくさんのことを発見しましたね。
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佐野 ● |
(笑)歌の中に秘めたユーモア、ジョークっていうのは、これは正直に言って自分のためのものですね。もし気付いてくれた人がいるんだったら、それはそれで嬉しいですけれども、ほとんどは自分の遊びと言ったら良いのかな。でも、ときどきとても敏感なリスナーがそれを指摘してきたりするときに、逆に僕は「あっ、やられた」なんて思ったりするんだけど、それも凄く楽しいです。
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岩本 ● |
なるほどね。
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佐野 ● |
今回、この「MOSTLY MOTOHARU」はかなり内容が濃く、ストレンジ・デイズ編集部の見解だけではなく、いろいろな人にコメントをもらったって聞いたんだけども。
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岩本 ● |
ええ、それはもう爆笑問題さんから大瀧詠一さんまで、広い範囲でたくさんの方にいただいてますね。
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佐野 ● |
みんな悪口言ってなかったですか?(笑)
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岩本 ● |
そんなことないですよ。悪口どころか、意外な方が佐野さんに影響されていて、あるいは自分たちのグループのネーミング、そういうものを佐野さんの曲から取っていたりとか、多いですよ。それはもう、本を見ていただければ分かると思います。
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岩本 ● |
ビートルズの『サージェント・ペパーズ』以降3年間くらいの英国の新聞を、ある時、ロンドンの古本屋で見つけたんですね。それでチャートを何気なく見ていくと、毎月というよりも毎週アルバムが出てるわけです。サージェント・ペパーズが出て、ホリーズの『バタフライ』が出て、ピンク・フロイドが出て、デヴィッド・ボウイが出て、スモールフェイセスの『オグデンズ・ナット・ゴーン・フレイク』も出ている。もうその3年間というのは毎月名盤!
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佐野 ● |
今から見れば、本当にクラシックレコード(の名盤)がどんどん出てる。
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岩本 ● |
凄いです! もうこの時代には、きっと何か魔法の空気が流れていたんじゃないか、絶対何かあるはずだと。そこから、もう一気に入っちゃいましたね。
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佐野 ● |
60年代中期ですね、僕もそれは不思議に思う。米国のチャートを見ても64、65年、66年。ここにはディランがいて、もちろんビートルズがいて、バーズがいて、ピンク・フロイド、ビーチ・ボーイズがいて…。新しいロックンロールの発明品が、どんどんチャートに上がって来た時期でしょ? 今でも僕は、Middle of 60'sは特別な時期だと思ってますよね。
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岩本 ● |
特別ですねぇ。
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佐野 ● |
だから僕も多感な頃、ビートルズやディランの音楽に触れることができて良かったなって思いましたね。正確に言うと、60年代中頃の音楽というのは、僕のお兄さんやお姉さんたちがリアル・タイムで聴いていたものです。僕はリアル・タイムで言うとEarly 70'sの音楽ですね。だから、ひとしきりそうしたロックンロールの革命の時期が終わり、シンガーソングライターの時代に入る。UKではグラム・ロックといった形がヒットしている。ちょうどその頃、多感な時期を迎えましたね。同時に、11〜12歳くらいに自分で楽器を弾き始めて、そろそろ曲を作り始めていたんですね。それで「日本語でどうやって曲を書いたら良いんだろう?」って。同じ国内で見れば、いわゆるコンテンポラリー・フォークの人たち。それからロックで言えば、わずかに「はっぴいえんど」。まぁ、僕の先輩たちが日本語による曲を書いていた。それを聴いて楽しんではいたんですけど、何かどこかで若い自分にはフィットしないな、という思いは常々あったんです。僕の身体にある物凄いスピード感だとか、性急な思いとか、大好きな女の子に向ける情熱感とか、そうしたものがコンテンポラリー・フォークソングや「はっぴいえんど」の音楽の中には無かったんですね。何かもっと落ち着いた ─ あの時代のひとつのムードだったのかもしれないけれども ─ ある種達観した静かさみたいなものがそこにあった。だけれども、血気盛んな僕にとっては少しフィットするものが無かった。だから「自分で書いてみよう、自分でやってみよう」として作ったのが、初期の「アンジェリーナ」であったり、アルバムで言えば「Back To The Street」であったりしたんですね。
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岩本 ● |
あとはもちろんビーチ・ボーイズ「グッド・ヴァイブレーション」ですね。そして王道。やっぱりここに戻っていくか、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」。佐野さんの絶対外せない2曲はこれじゃないかという気も。
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佐野 ● |
まぁ、世の中にはビーチ・ボーイズ・ファンはたくさんいると思うんですね。山下達郎さん、もう彼のビーチ・ボーイズ論には右に出る人はいないですね。また大瀧詠一さん、萩原健太さん、それぞれに独特のビーチ・ボーイズ観を持って、素晴らしいテキストを残しています。本当にリスペクトできると思う。で、僕の中のビーチ・ボーイズ、これは「サーファー・ガール」でも「リトル・ホンダ」でも無いんだよね。僕のビーチ・ボーイズはブライアン・ウィルソンなんですね。もっと詳しく言うと「フィル・スペクターにジェラシーを感じていた彼」ということが出来るんじゃないかな。そして、ブライアン・ウィルソンの芸術性と言ったら良いのかな、音を中心とした世界を構築していく、本当に稀な感性を持ったデザイナーと言っていいと僕は思うんですね。
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岩本 ● |
そうですね。
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佐野 ● |
ファンが僕のことをどう思ってるか分からないけども、僕は基本的にはシンガーソングライター、自分で詞を書き曲を書く。で、僕は生涯2つのバンドを持っている。ひとつはThe Heartland、そして今はThe Hobo King Bandだよね。彼らとスタジオに入り、彼らとライブに出て演奏している。で、ほとんどの曲の編曲、ベースとなるアレンジは僕がやってきた。すべての曲のイントロ、すべての曲のストリングスやブラスのライン、あるいはいろんな楽器の対行メロディ。その都度、僕がレコーディング・スタジオの中でデザインしてきたものなんですね。だから、僕はシンガーソングライターであると同時に、ブライアン・ウィルソンと同じようなサウンドのデザイナーでもあると思っているんです。この側面は、あまりファンから指摘されることは無いんですけれどもね。僕は自分がメッセージ・シンガーだって呼ばれるよりも、サウンドのデザイナーである自分のことのほうが、自分の中では重要なんですよね。何故ならば、そのメッセージを伝えるにも良いデザインが無ければ相手に伝わっていかないから。ちょうどそれは、自分の好きな女の子にチョコレートを裸のまんまあげるんじゃなくて、どうせあげるんだったら良いパッケージに包み、彼女が喜んでくれそうなリボンを上手にかけて、より喜んでもらおうという態度に似てると思うんだよね。僕はそのように、サウンドのデザインもずっとやってきています。
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