特集=佐野元春『自由の岸辺』が照らし出す現在

生の証を共有する歌

天辰保文

 おおらかにボ・ディドリー風のリズムが弾み、ギターが緩やかに流線を描きながら絡んでくる。聴き手の気負いをほぐすような、それでいて、これから始まる未知なる時間へのワクワクさせるような思いをともなわせた、つまり、最高の幕開けだ。そして、「新しく始めるんだぜ」と、その「ハッピーエンド」が閉じられたとき、素敵だなと思った。聴き手を選ばない豊かさや大きさを備えていること、と同時に、聴き手との民主的な関係を重んじたアルバムであることが、その瞬間に確信できたからかもしれない。

 「ハッピーエンド」は、1992年の『スウィート16 』に収録されていた曲だ。こうやって、佐野元春の新作『自由の岸辺』は、既発表の作品が11曲選ばれ、THE HOBO KING BANDの仲間たちと一緒に新たによみがえらせた、一般的には、セルフ・カヴァー集ということになるらしい。どういう基準で彼がこの11個を選んだのか、ぼくは知らない。最も時を重ねてきたのは、「夜に揺れて」と「グッドタイムス&バッドタイムス」で、オリジナル収録は、1980年の『バック・トゥ・ザ・ストリート』だ。いちばん新しいのは、1999年の『ストーンズ&エッグス』からの「メッセージ」ということになる。

 もちろん、佐野元春のことだ。そのままカヴァーしたのではない。例えば、「夜に揺れて」のように、かつての「夜のスウィンガー」が、若さを持て余し、夜の街を疾走する、そんな肉感溢れる青春像が強められていたのに対して、ここでの「夜に揺れて」は、新しい歌詞も加わり、その感情を抱える肉体よりも、感情そのものへの愛おしさが勝るような歌へと変わっている。

 そうやって、それら旧友とも呼べる歌たちを、新たになぞるのではないのはもちろんだが、現代に無理やり近づけようともせず、むしろ、彼はここで、80年代、90年代の歌たちに、70年代、60年代へと、あるいは、彼が初めて音楽をやることの意味や価値と出会った季節へと、時を遡るような旅をさせている。そうすることで、いまという時代に引き寄せるばかりか、永遠という普遍的な力さえも身につけさせたのではないか。

 だからこそ、懐かしいのに新しい。というよりは、古いとか、新しいとか、そういうのさえもとっぱらって、いつの時代であれ、歌が必要とする人たちのそばに寄り添う歌、世代を超えて、自分たちの声を持てない人たちと、生の証を共有する歌になったのではないだろうか。

 歌われるべき歌があり、それを歌う人がいる。奏でられるべき楽器があって、それを達者な仲間たちが奏でる。最良のセッションでも楽しむように、自然に歌は歌われ、楽器たちは奏でられている。聴き手を驚かせてやろうとか、功を焦ったりとか、そういう余分な思惑や作為めいたものが一切みあたらない。

 ぼくは、こういう自然な弾力というか、音楽がもたらす魔法のうねりにめっぽう弱い。そのせいだろうか、ほどよい日差しが注ぐ野原で、空でも見上げながら寝っ転がっているような気分だ。そこに浮かぶ雲が、穏やかに風に流れていく。それも、時間という雲に流されていく。このアルバムがもたらしてくれる時間の流れに、想像力を遊ばせているのが、本当に心地よいというか、居心地がいい。

 歌には不都合というか、不似合いとされていた日本語を、ポップ音楽の世界に持ち込み、そこに肉感というか、時代を刺激するようなビートを寄り添わせることで、歌の未来に光を射し込ませたのが、佐野元春だ。そのためには、強行突破をせざるを得ないときもあったり、言葉がビートと亀裂を起こして苦しそうに見えたりしたこともなかったわけではない(それもまた、大きな魅力となり得るのが歌だけど)。しかし、これを聴きながら思うのは、時というのは、とても正直だということだ。時代ときちんと向き合い、走り続けてきた人には、もちろん、鍛錬も欠かさずという条件が付くが、ちゃんとしたご褒美をくれるということだ。

 口笛一つが、沢山の説明を超える。スライド・ギターの吠えるようなワン・フレーズでも、ハーモニカの哀しい音色でも、それらだけで、物語を紡ぎ、思いを伝えることができることもある。歌い、演奏することの楽しさを、また、それを聴き手として分かち合える喜びを、このアルバムは、改めて教えてくれる。しかも、表現の成熟によって初めてもたらされる過激さとでも言えばいいだろうか、そういうものにもここでは出会えるのだ。