ハートランドからの手紙#118
掲載時:2000年9月
掲載場所:立教大学OB向け会報誌
掲載タイトル:「哲学するにはいい場所だった」

 70年代中盤。当時の立教大学キャンパスは、良く言えば穏やかだった。悪く言えば退屈だった。政治の季節を抜けて、闘争にくれた兄の世代は、みんな牙を抜かれたウオンバットのようにそれぞれのカゴへ戻っていった。引き剥がされた街路。壁にまき散らかされたペンキの後。ウオンバットたちは自分たちがやったことの後始末もせずに、どこかへ行ってしまった。

 何のために、誰のために闘っていたのか?今思えばあのとき早々と巣へと撤退していったウオンバットたちの判断は正しかった。あれから25年後の現在。私たちが得たのかもしれない「自由」という名の腐った果実を見よ。こんな「自由」のために魂をすり減らすことなど時間の無駄だったのだ。気づくのが遅かったのは誰?あの頃の俺。月、火、水、街の中で行きかう人の影をすり抜けていた。そして、眠たげなウオンバットたちに、精いっぱいのつたない抵抗を試みた。「シラけちまうぜ。」当時の流行語がそんな気分を知っている。

 「壊れた気持ちで翼もないまま、どこかに飛んでゆくのはどんな気がする?」

 しかし虚無を気取るにはエネルギーが余っていた自分。ウオンバット世代を尻目に、街に出て何かおもしろいことはないかとただ徘徊。上級生から手に入れたボロ車をチューン・アップして、スピードに狂う。
 誰かが言っていた。日本列島改造だ、と。「ああ、俺はとんでもないオヤジのもとに生まれてきてしまった。」こづかいをたくさんくれるのはうれしいけれど、人前でゲップするのだけはやめてくれ。

 国内経済は高度成長の途上。どこに向かっているのかわからないまま、俺はいっそうアクセルをふかしてた。街が徐々に華やいできた。おかげで女の子達がきれいに見えた。インポートのスカーフを巻いて俺に見せびらかすんだ。でもまんざら悪い気分じゃない。ジーンズにサーフィンにビートル?俺はホウレン草を食べ過ぎて食あたりをおこしたポパイか?それともひからびたホットドッグか?

 信じられるのは金と学歴。前に立ちはだかってスゴむオリーブたちの母親に、俺は何度あやまればいいのか? 18の春。金回りのいい同級生をだまして手に入れたフェンダー・ストラトキャスター。これが正解。毎日、曲と言葉を書きまくった。明けても暮れても書きまくった。なぜなら、それ以外することがなかったから。

 できた曲は、ライブハウスで唄った。どこかで学園祭があればそこで唄った。コンテストがあればそこで唄った。どこかでウワサを聞きつけたレコード・メーカが契約書を持ってきた。サインはしなかった。

 人生にたった一度しかない季節。手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃、俺は '腐った果実' ではない本物の自由を満喫していた。そして静かに哲学した。嵐がすぐそこまで来ている。

 予感はあたっていた。卒業の日。すでに華やいだ雰囲気の中、式がとりおこなわれる講堂に向かった。俺は席についてまわりをゆっくりと見わたした。ちょっと待って。何か雰囲気が変。どうしてこんなに女子ばっかりいるんだ?俺は隣にいた女子に訊ねた。「君、何学部?」「私、文学部」。「俺、社会学部なんだけど、卒業式はどこでやってるの?」「社会学部なら午前中にもう終わったわよ。」「.....。」ありがとう。立教。哲学するにはいい場所だったよ。


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