ハートランドからの手紙#196
掲載時:2007年2月
掲載場所:宣伝用パンフレット、ウェブサイト
掲載タイトル:「じぶんの詩 - A BEAUTIFUL DAY」について

■歌詞について
 世の中には結婚前の「君」や「彼女」について歌った曲は多いが、結婚後の「彼」や「彼ら」について唄った曲は少ない。それは残念なことだ。10代や20代と同じくらい、いやそれよりもっと以上に「唄=詩」を必要としているのは30代以上の「オトナ」たちかもしれない。

 この曲の主人公は既婚の男性で父親、マトモに働きマトモに稼いでいる世間から見たらごくありふれた一市民だ。世は格差社会の到来について話している。それはきっと、大事なものは手に入りづらくなり、どうでもいいようなものに金を払い続ける、そんな社会のことを言うのだろうか。経済学者は言う。格差社会では働いても豊かにならない層が出てくる、と。人情からすればこれじゃマトモにやってられない。

 この唄はそんな格差社会にあって、しかし自らを発見するに至った幸運な男についてスケッチしてみた。彼は言う。「陽射しの強いある日、俺は自分の存在に、気づいた」。僕はこれだと思う。四の五の言わず「自分」を発見した者の勝ち。他人のモノサシで生きるなんて本当にばからしい。「楽天」や「ノー天気」とはまた違う楽観主義。これがロック。ぐっさん、僕のために「もう一回」唄ってくれ!

■レコーディングについて
 「じぶんの詩 - A BEAUTIFUL DAY / グッドバイからはじめよう」はごきげんなレコードとなった。「じぶんの詩 - A BEAUTIFUL DAY 」は聴いていただいてわかるように、楽曲は1950年代のロックン・ロール・スタンダードにみられるようなオーセンティックなサウンドだ。チャック・ベリーやファッツ・ドミノ。僕が赤ん坊だった頃に流行ったスタイルではあるけれど、なぜか僕はこの頃の音楽が好きだ。もう一方の曲、「グッドバイから始めよう」は僕のカバー曲。レコードは、グルーヴィーなロックンロールとスロー・ソングといういい組み合わせとなった。

 「じぶんの詩 - A BEAUTIFUL DAY」は、オーセンティックなロックン・ロール・サウンドだと言った。ただこうした曲をレコードにする時はノスタルジーに陥っては失敗する。僕は現代に流行するヒップホップに対抗する気持ちで取り組んでみた。特に演奏においてはこのジャンルの音楽に理解のあるミュージシャンでないとだめだ。僕のブレーンから選りすぐりのミュージシャンたちに集まってもらった。

 演奏は僕のアコースティック・ギターのカッティングから始まる。続いて4リズムが絡むように入ってきて続くブラスのフレーズが呼び水となって、いよいよシンガーを迎える。みんなとてもいいプレイをしてくれた。このレコーディングに参加したミュージシャン達を紹介したい。

 ドラムスとベースはザ・ホーボーキング・バンドからのふたり、古田たかしと井上富雄。僕のレコーディングやツアーでもおなじみの二人だ。ピアノを弾いてくれたのはリクオ、ハモンド・オルガンは伊東ミキオ。ふたりともセッションは初めてだったけれどKyonを通じて以前から面識はあった。Kyonを含め彼らは「クレイジー・フィンガーズ」といってロックンロール・ピアノの職人集団とも言えるユニットを結成している。そんな彼らなので演奏の腕前は保証付きだ。このレコードでのリクオの演奏は見事だ。ニューオリンズ音楽にある鍵盤を転がすような奏法がすばらしい。国内のプレーヤで彼と肩を並べることができるのはKyonぐらいだろうと思う。

 ブラス・セクションはやはりザ・ホーボーキング・バンドで一緒にやっている山本拓夫を含むユニット、ソリッド・ブラスだ。スコアは僕が書いた。緩くスウィングする奏法がいい。この感覚を知っている彼らでこその演奏だ。そしてギターは山本耕史。本職は役者だというから驚きだ。ブルース・ギターの腕前は相当だ。僕は番組の中で彼が演奏している所を見てこれはいけると思った。ブルースだなんて年齢にしては渋いのではないかと思ってフェイバリットなギタリストは誰か、と尋ねてみたら「スティーヴィー・レイ・ヴォーン」だというのだから驚いた。僕は即座に納得してこう返した。「いい趣味だね」。

 リズム・レコーディングは何の苦労もなかった。僕は特に説明をしなかった。なぜならこのエリアの音楽は誰かが歌いだせばそれなりの演奏になるし、何よりもセッション・ミュージシャンが僕の意図するところをよくわかっていてくれたから。確か2−3テイク録ったところで終わったと思う。むしろその後の音楽談義の方が長かったくらいだ。

 ぐっさんの唄のうまさには定評がある。それは彼の「くず」のレコードを聴けばわかる。それだけに僕は慎重になっていた。あれだけ形態模写が上手な彼だからいろいろなシンガーの唄い方が乗り移ってしまうことも考えられる。それも楽しいのだが、今回のレコードは「素のぐっさん」の唄が聴きたかった。彼にとっての「じぶんの詩」にしてほしかったのだ。結果は聴いていただいたとおり。ぐっさんは正しい場所にスイッチをいれてくれて僕が予想もしないほどうまくやりこなしてくれた。

 ダビングがすべて終わり、レコーディングの最終段階であるミックスとなった。ミックスエンジニアは渡辺省二郎。ここ数年来、僕の作品を手がけてくれている優秀なエンジニアだ。OKとなったテイクはとてもリアルだった。ヒューマン・プレイによるリアル・ロックだ!メインストリームの音楽チャートに慣れた耳にはどう届くだろうか。いいさ、構いはしない、僕のモノサシで図る限りまちがいなくこれはグッド・ミュージックなのだから。

 もう一方の曲についても話しておきたい。「グッドバイから始めよう」。僕が80年代に書いた曲の一つだ。僕のカバー曲をという話しを受けてぐっさんが選んだのがこの曲だった。僕は正直に言ってうれしかった。過去に書いた曲の中でもこの曲は自分でも特に気に入っていた曲だった。ぐっさんの歌唱によってこの曲がどう響くのか興味があった。

 オリジナル「グッドバイからはじめよう」の編曲は、吉野金次アレンジによるストリングスが主体となっていた。それを踏まえてこのカバーでもストリングスを編曲の中心に添えた。スコアを書いたのは井上艦。寺尾聰が唄ってヒットした「ルビーの指輪」の編曲家として知られ現在は福山雅治の音楽監修を担当している。その彼と古くから仕事を一緒にしているが毎回彼が書いてくるスコアには胸が躍る。今回も同様、原曲を踏まえた上でコンテンポラリーな解釈を加えたすばらしい編曲だった。

 そしてぐっさんによるボーカル・ダビングの日。彼は少しだけ緊張しているように見えた。しかしマイクロフォンを通して1回唄うとたちまち水を得たように滑らかになった。さすがだ。メロディーのあるスローソング。こうした曲も彼は上手にこなしてしまう。ぐっさんのボーカルは力強いけれど抑制がとれている。僕が唄うオリジナルとはまた別の表情が生まれた。ぐっさんのまごころのこもった唄い方に、僕は感謝した。

 今回のセッションは楽しかった。自分のレコーディングではないので勝手が違ったがそれでも僕は充分に楽しんだ。仲間の最高のプレーヤが集まってくれて、ごきげんな演奏をしてくれた。僕の技術ブレーンが最高のサウンドを作ってくれた。ぐっさんや耕史君は予想もしないほどいいパフォーマンスを見せてくれた。TV番組の企画レコードなどと侮ってはいけない。ここには今のポップ音楽が久しく失っていたものがある。それは「セッションが産む創造のダイナミズム」だ。それはプロジェクトに参加する者たちが互いにリスペクトしあってこそ生まれる感覚だ。

 今回のレコーディングの一部始終はTVクルーが記録していたから近い内に公開されるかもしれない。そのときにはぜひ、視聴者のみなさんから、「ロックと言っていいんじゃないか」とお墨付きをいただきたい。どうぞよろしくお願いします。 

了。


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