ハートランドからの手紙#63
掲載時:93年
掲載場所:「ザ・サークル」宣伝用パンフレット

「自身のためのライナーノート」 佐野元春

●新作「The Circle」でテーマにしたこと

 人々が60年代のことを語るのと同じように、先の80年代のことを語れないものだろうか。80年代のことを冷静に語るにはまだもう少し時間が必要なのだろうか。僕が暮らしている日本も状況が変わった。何人かが得をして、何人かが損をした。景気が後退した。政権が交代した。かつての軍国少年たちの長い夢は終わった。かわりに新たな支配が始まろうとしている。僕は確実に変化のなかにいる、という実感。新作「The Circle」では喧騒の80年代をドライブしてきた者たちが見た1993年の風景を描いた。
欲望と喪失(Desire)、停滞と変化への対応(The Circle、新しいシャツ)、そして治癒と救済(彼女の隣人、君を連れて行く)がテーマだった。

●僕らの新しいサウンド

 作品「The Circle」のレコーディングは1993年、3月から始まった。全国ツアー「See Far Miles Tour Part ll」が終わると同時に、僕とThe Heartlandはレコーディング・スタジオに入った。今回はメンバーのスケジュール調整が困難だった。また予算の関係から制作費を節約しなければいけなかった。そのためスタジオでのセッションをベースにメンバーと一緒に作っていく従来のやり方を変えざるをえなかった。
まず始めに、僕がコンピューターを使ってプリ・プロダクションを行なった。始めは不安だった。従来のThe Heartlandのサウンドと違ってしまうかもしれないからだ。しかしこの新しい方法を進めていくうちに僕はどんどん肯定的になっていった。新しいサウンドへの挑戦だった。

●Co-Producer坂元達也君のこと

 このレコーディングでは共同プロデューサーとして坂元達也君が担当してくれた。
彼との共同作業は前回「Sweet16」に続いてこれが2作目にあたる。坂元君は常に全体から眺めて適切なアドバイスをくれ、また時にははっとするようなすばらしいアイデアも提供してくれた。坂元君とはほぼ同年代ということもあって、聞いてきた音楽の背景も共通しているのがよかった。彼は僕と同じように10代の時ロック音楽に恩恵をこうむったひとりでもある。だからもし今自分になにかできることがあるとすれば、それは、ロック音楽に恩返しをすることだ、と考える。また、坂元君はすぐれたエンジニアであるのと同時に理論的なプロデューサーでもある。これから国内でも彼のようなエンジニア・プロデューサーが増えてくるに違いない。彼はそうした一群のさきがけだ。

●ジョージー・フェイム氏の参加

 ハモンド・オルガンのサウンドが好きだ。今回のレコーディングで僕にとってうれしかったのは英国のジャズ・シンガーでもあり、すばらしいハモンド・オルガン・プレーヤーでもある、ジョージー・フェイム氏が参加してくれたことだ。長い間、彼の音楽のファンだった。最近ではヴァン・モリソンとの共同作業も伝えられている。
R&B音楽やジャズ音楽への深い愛情に支えられたジョージー・フェイム氏の最近の作品「Cool Cat Blues」、「The Blues & Me」もすばらしい。そのジョージー・フェイム氏の参加は今回のアルバムの音楽的な方向性を決めるにあたって大きなきっかけとなった。前作「Sweet16」が明快なR&Rアルバムだったのに対して、今回の「The Circle」ではR&B音楽の僕なりの解釈を試みた。R&B音楽に特徴的なハーフ・シャッフル、スウィング、といったリズムを多く採用した。日本語の構造がこうしたリズムにうまく乗るかどうか心配だったが思ったよりうまくいったと思う。このアルバムを聞いてくれた人が「いいGrooveだね。」といってくれたら、こんなにうれしいことはない。

●アルバム曲について

欲望
このアルバムはミッド・テンポ、ハーフ・シャッフルの曲から始めることにした。長田進の「地平線が見えるような」ギター演奏から一転して曲が始まる。バック演奏は同じフレーズを延々と繰り返す。僕自身もまたバッキング・コーラスも曲の後半に向かって次第に熱が上がってくる。ゴスペルの形式だ。90年代の「Helpless/Neil Young」を表現してみたかった。かねてから人間の「欲望」についての曲を書きたいと思っていた。欲望の80年代は終わった。僕は1993年に生きている。

Tomorrow
この曲も同じフレーズの繰り返しで構成した。Na Na Na Na Na...。僕とバッキング・コーラスの合唱。教会音楽の形式。やはりゴスペルだ。80年代を肯定的に捉えるか、否定的に捉えるかはひとの自由だろう。景気がいいとき、文化は限りなく消費される。景気が悪いとき、文化は放置される。好きにやってくれ。僕は僕の音楽の聴き手とわずかばかりの祝祭を上げたい。ここまでやってきたんだ。これからもやっていくんだ。哀しみにおぼれているひまはないんだ。

Rain Girl
このアルバムを作っている間中、雨が降っていた。1993年の夏、今年は気候が少しおかしかった。僕はほんとうに太陽が恋しかった。この曲に登場する「Rain Girl」は僕のそんな憂鬱な気持ちをわかっているかのように僕を励ましてくれる。ほんの少しの時間でいいから、彼女と踊ることができたら...。

Weekly News
PKOの報道がなされるたびに僕は何かいごこちの悪さを感じていた。僕ははっきりと言いたい。ニュース報道にあいまいなバックグラウンド音楽をいれないでほしい。僕は感情に流されたくない。10歳のとき成績簿の備考欄に「情緒不安定」と書かれて以来ずっとこの欠点と取り組み続けている。

君を連れていく
1992年に書いた「ハートビート」という曲に連ねるつもりでこの曲を書いた。小さなカサノバとナイチンゲールの物語はまだ終わってはいない。緑の風が吹く頃、彼女の髪が柔らかく、彼の肩幅がまだ狭かった頃、二人は出会った。やがて彼らは現実と直面する。葛藤と苦悩。イノセンスの喪失。結婚と死。ロックロール音楽は常に人間の成長にともなう事柄をテーマとして取り上げてきた。僕は「無垢の円環」という概念に注目する。多くのひとはちょうど無垢さを失いかけたころ新たな無垢さに出会うよう運命づけられているかのようだ。
あるひとは子供を設けるだろう。あるひとは近親者の死に立ち会うだろう。イノセンスは崩壊するのではなくまた消え去るものではなく、それは確実に継続し、また完璧に円環を描いていくものなのだ、という発見。ライブで演奏するのが楽しみだ。

新しいシャツ
僕が暮らしている日本も状況が変わった。何人かが得をして、何人かが損をした。景気が後退した。政権が交代した。古いシャツはどこかにそっとしまおう。そして新しいシャツに着替えよう。このトラックではTokyo Be-Bopのブラス・セクションがショットガンを撃っている。曲の後半、ジョージィ・フェイム氏のオルガンがグイグイとグルーブしているのを聞くと僕はうれしくなる。

彼女の隣人
大切な曲。か、またはそれ以上の曲。マクサンヌ・ルイスがすばらしいソウルをプレゼントしてくれた。どうもありがとう。

The Circle
アルバムタイトル曲。70年代に僕がよく聞いたウィリッツアーのピアノサウンドを使った。70年代カーティス・メンフィールドの領域。この曲はRe-Mix Vresionも作った。Re-Mix VresionではエンジニアにMark McGuire、SaxophoneにJazz Messengersからのミュージシャンが参加してくれた。こちらは90年代アシッド・ジャズの領域。ひとつのアイデアから生まれた2つのバージョン。そのコントラストを楽しんで欲しい。

エンジェル
レゲ・バラード。ジョージィ・フェイム氏がハモンド・オルガン(日曜の午後のようなオルガン・ソロ!)とボーカルを担当してくれた。彼が一緒に唄ってくれるなんて期待していなかった。僕はうれしかった。ジョージィ・フェイム氏はいったい今まで何曲のロマンスについての唄を唄ってきたのだろう。淡い恋、苦い恋、楽しい恋。レコードに刻まれている彼の唄声には歴史がある。「今夜は君の天使になるよ。」というリフレインは彼に唄われることによってよりロマンティックに響く。50歳になっても僕はロマンスについての唄を唄っていたい。ジョージィ・フェイム氏のように。

君がいなければ
僕は「君」によって生かされているという認識。普段そんなことには気づかない。でも素直になれば、とたんに世界が違ってみえる瞬間がある。君がいなかったら、僕はちがった存在になっていただろう。水素が酸素に会わなかったら、水にならないのと同じように。

この曲で今回のアルバムは終わり。楽しんでもらえるとうれしいです。このアルバムを持って僕とザ・ハートランドは全国ツアーに出かけます。みなさんの街の近くまで行ったら、ぜひ僕らに声をかけてください。みなさんに会えるのを楽しみにしています。ではそのときまで。コンサート会場で会いましょう!


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