◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ MIPS  PRESENTS ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆                     ◆◆◆◆
◆◆◆◆    ノージのSmall Town Talk      ◆◆◆◆
◆◆◆◆                     ◆◆◆◆
◆◆◆◆  佐野元春 and The Hobo King Band   ◆◆◆◆
◆◆◆◆   〜 THE BARN TOUR'98 Newsletter 〜   ◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
                      Vol.11 <1998.4.28>

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★ノージからのごあいさつ★

 忘れた頃にやってきた、STT最終号でございます。
 4月14日、“The Barn Tour'98”は神奈川県民ホールで無事終了。翌日から、
半年ぶりくらいに“ツアー中心じゃない生活”が始まりました。ウッドストッ
ク・レコーディング、アルマジロ日和、そして今回のツアー……考えてみたら、
去年の夏からずーっとわたしの生活の中心は“The Barnプロジェクト”であり
ましたのよ。そんなわけで、ツアーが終わってからはぼ〜っとしておりました。
なかなかSTTに取りかかれなかったのは、ツアー中のツケがたまってめちゃく 
ちゃ忙しかったとゆーこともあるんですけど。ぼ〜っとしていて、何を書いた
らいいのかまとまらなかったとゆーのも3割くらいあります。
 そういえば、フルーツ・ツアーの時はそうだったなぁ。ツアーが終わったと
たん、ピュッとコンセントを抜かれたみたいになっておりましたもの。この感
覚、不思議ですね。淋しいけど、気持ちいい。STTにおつきあいくださったみ 
なさんにも、この気持ちをちょっとでも味わってもらえたなら……あたしゃ、
うれしいです。
 ではでは、怒涛の(結果としての)アンコール・ツアー“東京&神奈川編”
をお届けいたします。はりきってどーぞッ!!>自分(^.^)

 とても長いので、あなたのメーラーをぶっ壊しちゃうかも。
 ごめんなちゃいね。
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■ CONTENTS -----------------------------------------------------------
■とどめの一撃(4月11日・渋谷公会堂)
■余談・大滝さんとHKB
■そして最後に!!(4月14日・神奈川県民ホール)
■打ち上げがわりの、ごあいさつ
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■とどめの一撃(4月11日・渋谷公会堂)--------------------------------

 午後3時、リハーサル前の楽屋。

 佐野がギターを抱え「スターダスト・キッズ」を口ずさみながら弾いている。
「はい、これもオッケーでぇ〜す」と、傍らに座っていた佐橋が譜面ファイル
のページをめくる。つまり彼らは佐野の“弾き語り可能曲”をチェックしてい
るのだが、“わんこそば状態”でどんどん候補曲が増えていく。回りで聞いて
いるメンバーは、時どき一緒にコーラスパートを口ずさんだりしながら「佐野
さん、なんでもできちゃうじゃん」と感動しきり。

ト「もう、今日は佐野さん全部ひとりでやってくださいよ」
佐「ステージに出てって“追加公演は、メンバーのスケジュールが押さえられ
なかった。ごめん、今日はオレだけなんだ”って言う? みんな、怒るだろう
なぁ(笑)」

 およそ10日ぶりのライブ。なんだか、すごく久しぶりのライブのような……
新鮮な気分。大阪でのファイナル公演が、すでに遠くの出来事と感じられる。
 いわばアンコール・ツアーともいえるラスト2本。佐野は、The Hobo King 
Bandと共に“自分たちが楽しむために”曲順を熟考ちゅう。リハーサルでしか
演奏しなかった曲、前のツアーでのレパートリー……メンバーの間からも、次
々と候補案が出る。「うーん、困ったなぁ」と、みんなうれしそうな顔。結局、
佐野の「ま、神奈川での楽しみを残しておいてもいいから」という提案によっ
て新たなレパートリーは「欲望」だけということになる。

 ツアー中盤、メンバーの間から「いちどは佐野さんに、ひとりで出て行って
弾き語りをやってもらおう」というアイディアが出ていた。佐野も、大阪あた
りから「Hobo Kingがひとりで演れっていうからさぁ」と、弾き語りについて 
ずーっと考えていたようだ。

 現在の佐野の音楽は“佐野元春&The Hobo King Band”という単位で成立し
ている。“&”という文字でつながれた互角の力がぶつかりあうことによって、
佐野のミュージシャン・マインドが最大限に引き出されていることは間違いな
い。

 けれど何よりも大切なことは、このプロジェクトが“佐野元春”というひと
つの才能を中心に回っているということ。The Hobo King Bandにしても、全員
がさまざまな形で佐野に魅き寄せられていることで、バンドとして成立してい
る。佐野がいなかったら、こんなバラバラな面々がひとつにまとまるはずがな
い。
 だからこそ今、あらためて“佐野元春”というジャンルを確認する機会が必
要だ。バンドのためにも、リスナーのためにも、佐野本人のためにも……。
 だから、メンバーたちの“リクエスト”は、とても正しい。

                     ****************************

 およそ3週間ぶりの、渋谷公会堂。
 今夜はいつもの夜とはちょっと違う。
 客席には、開演前からただならぬ熱気がたちこめている。そりゃそうだ。こ
こにいる観客は、本当なら2月のはじめに同じ会場での公演を体験していたは
ずなのだから。
 各地、多くのファンが“待ちに待った”という思いでツアーのステージを体
験したはずだけれど。全国の“待ちに待った大賞”は、東京と神奈川公演を待
ちこがれたファンにさしあげたい。

 佐野からも、待たせたお詫びに?素晴らしいプレゼントが……。

 オープニング、ギターを抱えた佐野がステージに姿をあらわす。
 ひとりきり。
 スポットを浴びて、彼はギターをかき鳴らす。ローディーの晃彦が「佐野さ
んのギター、最高でしょ。世界一の音がするんだから」と、まるで自分のこと
のように誇らしげに教えてくれた名器。ひとりで演奏することによって、その
繊細な音色の素晴らしさはより鮮明に伝わってくる。
「スターダスト・キッズ」。
 客席から驚きと戸惑いの声があがり、それがやがて歓喜の声へと変わる。こ
の曲を、こんなふうに聞くことができるとは思わなかった。数えきれないほど
あがった候補曲の中から、この曲を選びとった佐野元春に“乾杯”。

 そして、続いても弾き語りで「ジュジュ」。
 これはどんなに時間が経っても、何度聞いても“作りたて”の匂いのする不
思議な曲だ。東京の自室か、あるいはロンドンのフラットで、ひとりギターを
弾きながら作曲する佐野の姿が浮かんでくる。何度聞いても、同じように……
なんでだろう?
 エンディング、佐野は気持ちのおもむくままにどんどん速いテンポでリズム
を刻んでいく。The Hobo King Bandから離れてひとり歌う佐野は、どこか心細
げにも見える。けれど、いちばん自由に自分自身を解放させているようにも見
える。

 3曲めの「欲望」を歌う佐野の背後、暗闇の中でThe Hobo King Bandのメン
バーが所定の位置につくのが見える。“君が欲しい”のフレーズを合図にステ
ージが明るくなり、バンドが演奏に加わる。
 この瞬間の美しさ、この先もずっとずっと忘れないだろう。
 佐野元春という核を中心にして回る、The Hobo King Bandという宇宙。
 その図式が、このドラマティックな演出によってはっきりと見えた。

 静かに、静かに燃えている。
 のっけから超ハイテンションで疾走した大阪ファイナルとは、まったく正反
対の熱気が伝わってくる。慎重に、けれど無邪気に。それぞれが、自分の中で
ツアーの“店じまい売り尽くしセール”を繰り広げている。

 観客に彼らのスゴさを存分に見せつけた大阪、メンバーが自分自身の中での
“ツアー総決算”をしているように見える東京。
 なんと言ってよいのやら。冒頭の弾き語りを含めて、すべての曲がつながっ
て太い幹になっているような。すべてがひとかたまりになって、こちらへと投
げつけられてきたような……。これまでの経験を総括した結果、至高の領域へ
と上りつめたステージだった。

                     ****************************


「朝起きたら、すごくいいお天気でうれしかった。でも、なかには雨が好きな
人もいる」

「ロックンロール・ハート」に入る前のMC、そう言ってから佐野はしばらく
黙りこんだ。メンバーもスタッフも含めて、その場にいた全員が彼の言葉の真
意をはかりかねて、次の言葉を待った。さて、この話のオチは……。

「ま、一概には言えないってことだね」

 ええーっ!? あまりのオチなし話に舞台袖ではスタッフが一斉にコケ、ステ
ージ上ではメンバーがオンマイクであることも忘れて吹き出したという。
 だんだんと贅肉をそぎ落として、そのシェイプに磨きがかかってきた演奏と
はうらはらに。佐野のMCは、ツアーが進むにつれカオスの森の奥へと迷い込
んできた。もう、すごすぎ。よくわかんないです。
 でも、こういう時の佐野元春が絶好調だってことは確かなのでオッケーです。

                     ****************************

 大阪ではジョン・サイモンの“父兄参観”があった。さらに、東京ではもう
ひとつの“父兄参観”が待っていた。
 遠く福生のFussa45スタジオから、大滝詠一がやって来たのだった。

「大滝さんにThe Hobo King Bandを紹介したいなぁ」
 ツアー序盤の頃、ふと佐野が漏らした。以前から、彼はよく大滝との思い出
を話してくれた。『ナイアガラ・トライアングルVol.2』における大滝との出 
会いがなかったら、アルバム『サムデイ』は生まれなかっただろうと彼はいつ
も言う。そんなわけで、佐野にとって大滝詠一は大切な恩師。彼が、新しいパ
ートナーであるThe Hobo King Bandを紹介したいと思う気持ちはよくわかる。

「大滝さんを囲んで、お座敷で、おでん食べながらってのはどうだ?」

 と、佐野は言った。その頃、季節はまだ冬だった。でも、なぜ、あえて“お
でん”? とにかく、大滝さんとの会合はそういうイメージなのだそーだ。

 で。大滝詠一のほうもまた、いつも遠くから佐野の動向を気にかけていた。
Nohji's Rock'n Roll Shop上のレポートも、いつもチェックしてくれていた。
 最近は滅多に会うこともないというので、これはいい機会かもしれない。
 そんなわけで、大滝サイドに連絡をとってみると「コンサートに出向きます
ヨ(^_^)」とのこと。で、2月の渋谷公会堂にお招きすることになったのだが 
……これが、まさかの延期に。結局、ツアー中ずっと“おでんプロジェクト”
と呼ばれていた“父兄参観”は、ラスト直前になってやっと実現したのだった。
 でも、この日でよかったなぁと思う。おでんはシーズン・オフになっちゃっ
たけどね。拙著『フルーツ・ダイアリー』の帯に一句いただいているワタシと
しても、大滝詠一は親も同然。滅多にコンサートなど見ない彼に、どーせなら
い〜ちばんカッコいいThe Hobo King Bandの姿を見てもらいたいたかったもの。

 そして、再び渋谷公会堂……。

「今日来てくれたみんなに紹介したい人がいる。大滝詠一さん!」

 ステージ終盤、佐野は2階席最前列の中央に座っていた大滝を紹介した。ス
ポットライトが当たり、立ち上がって手をふる大滝。鳴りやまない拍手に、彼
は困ったような顔をして“彼らの番だよ”と言わんばかりに舞台のほうを指さ
した。

 そして、その大滝詠一を前にして歌われた「サムデイ」。このツアーでは何
度も歌われているけれど、この日の「サムデイ」には特別な意味がこめられて
いた。
 大滝との出会いがなかったら、この曲は生まれなかった。そして今夜、彼の
前で歌うことができることをうれしく思う。そう前置きをしてから、佐野は歌
い始めた。
 あれから、決して長くはない歳月が過ぎた。けれど、こうして再び新しい力
を得て「サムデイ」を歌い続けていること。それを、佐野は大滝詠一の目前で
誇らしげに告げた。

 この曲を歌い終わった時、大滝は再び立ち上がってステージに向かって拍手
を送った。客席からも佐野に、The Hobo King Bandに、そして大滝詠一に送る
惜しみない拍手がいつまでも続いていた。

 大滝詠一が佐野のライブを観たのはちょうどハートランド解散が発表される
前日、初めての武道館ライブ以来のことだという。

「楽しかったよ。前の武道館では、観ていて辛くなる局面もあったけれど。今
日は、最初から最後まで楽しかった。うん、いいものを見せてもらったな」

 終演後、最初に聞いた大滝の感想。なにげない口ぶりだったけれど、社交辞
令を嫌う彼の温かい言葉はとてもうれしかった。『サムデイ』が生まれる前か
ら佐野元春を知る大滝詠一の、今の佐野に対する心からの賛辞だと感じた。

「佐野君も楽しそうだったしね。要するにロックンロールはさ、どっかにユー
モアがあるかないか。そこが分かれ道なんだ。最後には、ユーモアのあるやつ
が生き残る。それは天性のもの、なんだろうけどね」

 そう言った後、彼は「だけどね……」と続けた。

「I LOVE YOUの反対は、YOU LOVE MEじゃないだろ。“アイ・ブラ・ユー”だ 
ろ(^_^)」
(↑知らない人は、トニー谷を聞いてみてください)

                     ****************************

 この夜の佐野とHKBは、“タフで、クールで、ヒューマンタッチ”。
 特に“タフ”の部分を強調したい。
 3時間を超えるステージ。アンコールに次ぐアンコール。

 フルーツ・ツアーのファイナルでの“ロックンロール・トライアスロン”と、
大阪での音楽的なテンションの高みをきわめたステージ。その両方を、混ぜ合
わせたよう。

 終演後、佐野は「オレはもーぉ、疲れたッ!!」と笑いながら言ってテーブル
に突っ伏した。すべてを燃やし尽くして、魂が抜け落ちてしまったような表情
をしている。ステージに立っていた、ほんの20分ほど前の精悍な顔つきとは別
人のよう。
 そう、これまでのわたしの“観察日記”をひもといてみても……ものすごい
ステージを終えた後の佐野は確実に“魂が抜け落ちた顔”になる。
 わたしもいろんなミュージシャンの、終演後の顔を見てるけど。こんなふう
に顔がガラッと変わっちゃう人は、あんまり見たことがない。まさに身を削っ
て、鶴が羽を抜いて機織りしているように、ライブ・パフォーマンスをやり続
けている。だからこそ、彼はこんなにも長い年月を身ひとつでサバイヴしてき
たのだと……このツアーに同行するようになって、ずーっと同じことを思い知
らされ続けている。

                     ****************************

 ちょっと個人的な余談を。
 ライブが始まってすぐ、わたしの隣の席にひとりの男性がやってきた。
 何を隠そう、それはザ・ハートランド2代目ギタリストの横内タケさんであ
った。“ビジターズ・ツアー”でのワイルドなプレイは、佐野さんのライブ・
ヒストリーにおいても重要な役割を果たしたと思います。“LAND HO!”での久
々の勇姿も忘れがたいっすね。わたくしは心の中で“きゃー、タケだわー。タ
ケー!!”とおおいに盛り上がっていたのでした。タケさんは、ちょっとおじさ
んになっていたけれどカッコよかったです。で、ずっと真剣な表情でステージ
を見守っていました。終盤では、ステージ袖に行って見ていらしたそうですよ。
タケさんはトミーとも親しいのだそーですよ。終演後も楽屋でずーっと話し込
んでました。
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■余談・大滝さんとHKB----------------------------------------------

 さぁ、ここでちょっとコーヒーブレイク(←死語)。

 渋谷公会堂で“生大滝”を見たみなさん、非常にラッキーでしたね。だって、
去年の「幸せな結末」リリースの時だって“近影”はほとんど公表されなかっ
たし。数年前の“山下達郎シングス・シュガーベイブ”ライブの時にも、今回
と同じように、山下さんが客席にいる大滝さんを紹介してスポットライトを当
てる……という計画があったのですが、みごと失敗。そんなわけで、生の大滝
さんが公の場で紹介されるというのは“ツチノコ発見!!”にも近い……若い方
々には“ポケット・ピカチュウGET!”にも近いレアな出来事だったといえまし
ょう。

ノ「それにしても、2階席からにこやかに手をふる大滝さんの姿。威厳があっ
てノーブルでございましたねぇ……」
大「だろっ(^_^)」
ノ「これから、あだ名は“陛下”」
大「気に入った!!」

 なんて話をしながら、大滝陛下ご一行とわたくしは会場を後にしたのですが
(←運転手は陛下じきじき)。楽屋口には、佐野さんとHKBを待つファンの
みなさんが!! ちょうど“天覧試合の手の振り方”で盛り上がっていた大滝さ
ん、おもむろに車の窓を開けてファンのみなさんに手を振ります。が。

 じぇんじぇん気づかれません(泣)。

 それでいったんはスルスルッと窓をしめたものの、「気づかれない時はサー
ビスだ!!」と再び窓を開けてチャレンジ!! 今度はちょびっと気づかれました。

「ほら、あれ、あれ!!」

 と、ファンのお嬢さん、呼びかけるも名前失念、か? 陛下、ちょっとショ
ックを受けて窓を締めてしまいました(哀)。

 負けず嫌いなところは、とても佐野さんと共通していますね。

                     ****************************

 さて。爆裂ライブの後は“爆裂おでんショウ”です。
 翌日別のライブがあるという小田原さんをのぞいて、HKBwith大滝詠一が
都内某おでん(もある)店に集合。スペシャル・ゲストに、ライブを観に来て
くださっていた花田裕之さんも参加!! きゃー、花田さんカッコいい〜。

 はっぴいえんどのラスト・アルバムに参加したヴァン・ダイク・パークスの
話から、日本の演芸史の話まで。もう、話は広がること広がること。大滝さん
のレコーディングはまずスタジオの電源をはかることから始めるとか、世界中
の電池をチェックしたとか……ミュージシャンにしかホントの面白さはわから
ないであろうナイアガラ・レコーディング秘話でも大もりあがり。ダイナマイ
ト・トーク・セッションは深夜まで続きました。

 ライブですっかりエネルギーを使い果たした佐野さんも、大滝さんの向かい
側に座ってうれしそうにニコニコしています。
 昭和歌謡史に話が及ぶと、KYONが鋭い質問を投げかけます。ロック、歌謡、
演芸、落語、スポーツ……大滝さんの話は、実に幅広いジャンルを網羅してい
るわけですが。それにとことんついてゆけるのは、我らがドクター・KYONしか
いません。
 大滝さんも「KYON君はすごい」と感心しきり。
「KYONは絶対、大滝さんと話が合うと思っていたんだ」
 と、佐野さん。
 そんなわけで、HKBと大滝さんは帰り際には近い再会を約束したのでした。
もしかしたら、みんなで福生の大滝邸へと遊びに行くかも知れないって。
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■そして最後に!!(4月14日・神奈川県民ホール)------------------------

「ツアー終盤にきて、やけにドラマティックに展開してきてやしないか? す
べてが筋書き立てられているような……」

 最終日の前の、佐野の言葉。
 確かに。幸運な偶然と言うには、あまりに見事なストーリー仕立ての展開が
続いている。見えない力に操られているように、すべての要素が複雑に組合わ
さってひとつのカタチを作りつつあるように見える。

 前にも書いたかも知れないけれど、ツアー半ばでは“ストーリー”の行方が
まったく見えなくなっていた。佐野がどこへ行こうとしているのか、そしてバ
ンドの面々がこれからも佐野とバンドを続けていくのかどうか……すべてが保
留の状態になっていた。快走を続けてきたプロジェクトに、いったんPAUSEボ 
タンが押されたような気がしていた。

 けれど、あの時期にも大切な意味が隠されていた。
 それは“失速”ではなく、確かに“PAUSE”ボタンだった。今になって思う。
 そして、ここにきてすべての“PAUSE”が解除された。

「一回、ダンッと急激に高度が上がるのを体験しちゃったら、それから先は前
みたいには上がっていかないからね。なんか、物足りなく感じたり……。でも、
本当はそっからどうするかがいちばん難しいんだよね」

 前にセンパイが言っていたことを思い出す。本当にそうだった。このバンド
が辿ってきた航路は、まさにその通りだった。

 大阪、そして東京での公演はツアー・ファイナルの“前編・後編”とでも言
うべきステージとなった。公演延期で待ちどおしい思いをしたファンには申し
わけないが、大阪の後に渋谷公会堂での公演が残っていたことは素晴らしい幸
運だった。
 インフルエンザで生まれて初めて公演をスキップしたことを、佐野はずっと
悔やんでいた。けれど、おかげでこんなにドラマティックなツアー・ファイナ
ルが実現した。今となっては、インフルエンザにも感謝……かな。

 大阪での最終日とは別のベクトルでの最高潮を見せた渋谷公演も、佐野元春
&The Hobo King Bandにとって“必要”な夜だった。
 もしかしたら、その2公演は彼らの“未来”にとって重要な役割を果たす夜
だったのかもしれない……とさえ思う。
 さらに、その渋谷公演を大滝詠一と共にわかちあえたこともうれしい“幸運”
だった。

 さらに、佐野から聞いた話。
 大阪でのファイナル公演の模様をビデオ収録することは、ずっと前から決ま
っていた。その時点ではジョン・サイモンとガース・ハドソンの参加は予定さ
れていなかったし、映像スタッフはフットワークの問題も考えて東京でのビデ
オ収録を主張した。ところが、佐野は直感的に大阪での収録を強硬に主張した
という。結果、歴史的セッションが映像として記録されることになったわけだ。

                     ****************************

 そして、これが本当に本当のツアー最終日。

「スターダスト・キッズ」「ジュジュ」「欲望」と続く弾き語りで始まるとこ
ろは、渋谷公会堂と同じ。しかし、その後の曲順はまたバラバラのめちゃくち
ゃにひっかき回されている。で、よくよく見ると……なんと、その渋谷公会堂
での曲順をほぼまるごと逆にひっくり返したものになっている!!
 ま、これは予想できなかったわたしがバカだったんである。ここ神奈川県民
ホールは、IHKツアーのファイナルを迎えた地。そう、その日、The Hobo King
Bandにとって最初の“大事件”である“曲順ひっくり返し事件”が起こった場
所だったのだから。

 リハーサル前、ほぼ全体の曲順をメモに書きつけた佐野がメンバーを呼ぶ。
「こんな感じなんだけど……?」
 のぞきこんだメンバーたちは「なるほど」「そう来ましたかぁ〜」とうなず
きながら、しばし考え込む。そして「じゃ、ここにあの曲を入れませんか?」
とか「や、それよりもさぁ」と、あれこれ新しい提案をする。それを聞いた佐
野は「そうか、なるほど」と、鉛筆を手に曲順を消したり書き加えたり……。

 あれ? なんだか新しい光景だ。

 たとえばフルーツ・ツアー。佐野は、いつも開演前にメンバーとは離れた場
所でひとり曲順を考えていた。彼が演奏する曲を決め、バンドはそれを受け止
めるだけだった。こんなふうに、佐野が曲順に関してもメンバーと顔を寄せ合
って相談するようになったのは、ごく最近のこと。しかも、意を決してマイン
ドを変えるとかいう大袈裟な変化ではなく。ごく自然に、いつの間にかそうな
っている。

 この3ケ月間、いろんな場所に変化の兆しが転がっていた。
 後になって、それが予兆であったことに気づくこともたくさんあった。果た
してわたしは、そんな些細な……けれど大切なサインをどれだけレポートして
これたのだろう? ま、まだまだ、その答えはわかんないね(^_^)。

 それにしても“The Barn Tour”は、どんなふうに終わりを迎えるのだろう?
 実際にステージが始まるまでは、まったく想像がつかなかった。
 大阪と東京と続いた“ファイナル”の前後編。それが、もしかしたら“前・
中・後編”になるのだろうか……??? そんなことも思っていたけれど。

 物語で言うならば、大団円を迎えた後の“エピローグ”。
 ツアー全体をひとつのコンサートにたとえるならば、クライマックスを迎え
た本編の後に続くアンコール。

 そんなライブだった。
 体力の限り、出し惜しみなしにすべてを見せる。けれど、楽しんだりリラッ
クスしたりすることを忘れずにね。
 ゴールに向かって真摯に突進してきた彼らが、ようやく最終目的地に足を踏
み入れて。そこで初めて見せる、ホッとした素顔……そんなふうに感じる瞬間
もあった。張り切りすぎてちょっと足を踏み外してしまうヤンチャな面も含め
て、もっとも自然体なThe Hobo King Bandの欲望を全開にした姿がそこにあっ
た。

                     ****************************

 アンコール、佐野はピアノの前に座ると何も言わずに「ガラスのジェネレー
ション」を弾き始めた。続いて、これもまた何の説明もせずに「約束の橋」。

 カッコよかった。
 いつも彼は、その曲が生まれた頃の話をしてから歌い始めていたけれど。本
当は、何の説明もいらない。昔から彼の曲を聞いてきた人は懐かしさで胸がい
っぱいになるだろうし、最近ファンになった人たちは新鮮な気持ちで“新しい
曲”を受け止めるだろう。

 昨年12月、ツアー・リハーサル初日のこと。佐野は突然「ビジターズ」を演
り始めた。スタッフは驚いたが、佐橋は「新曲? いい曲だなぁ」とうれしそ
うに言った。あれと同じことだ。

 いわゆる“元春クラシックス”は、ツアーを重ねるごとに味わいの深さを増
していった。過去の曲であろうと、新曲であろうと、いい曲はいい。そして長
い年月にわたって愛されてきた曲には、それだけの理由がある。

 いつも、誰よりも先に新しい試みに取り組んできた。
 いつだってそれが、佐野元春を語るキーワードだった。
 けれど、聞き手も佐野自身も、いつしかそのキーワードの表層的な意味に束
縛され過ぎていたのかも知れない。

“新しい試み”というのは、スタイルでもなければ楽曲そのものでもない。
 常に進み続けている、その強靱なメンタリティがありさえすればいい。
 このツアーを通して、佐野に教えてもらった気がしている。

「ロックンロール・ハート」も、「ヤング・フォーエバー」も、歳月と共にだ
んだんと佐野や聞き手の身体に馴染んでいくことだろう。
 50歳の佐野がしゃがれた声で歌う「ロックンロール・ハート」を想像してみ
る。きっと、最高にイカしているだろう……。

 このツアーで、佐野はとびきり新しいことをたくさん見せてくれた。
 彼はきっと「ガラスのジェネレーション」も「ロックンロール・ハート」も、
ずっと歌い続けていくだろう。それを惰性のオールディーズにすることなく、
歌い続けていくこと。いつまでも歌を錆びつかせないこと。それは、これだけ
たくさんの名曲を生みだしてきた佐野元春がロックンロール・アーティストと
して背負った“使命”あるいは“宿題”だ。

                     ****************************

 フルーツ・ツアーでは、佐野を含めた“The Hobo King Band”の歩みを経験
した。今回のツアーでも、もちろんバンドの変化というものも目の当たりにし
たけれど。
 佐野元春。
 彼自身の変化、あるいは変化への“欲求”をずっと追いかけていた。気がつ
くといつも、自然と佐野元春のやろうとしていることや考えていることに目を
奪われていた。

 話は再び、彼の“新しい試み”について。

「ツアーが始まった時と、今の佐野さん。ぜんっぜん違うよ」

 The Hobo King Bandは言う。
 ツアー全体は浮いたり沈んだりを繰り返してきた。けれど、いちばん大切な
“変化”はずっと静かに深く潜行を続けている。

 佐野は、とても意識的に自らのボーカル・スタイルを変えつつある。

 今の自分の肉体に合った歌い方を、彼はずっと模索しているように見える。
 ツアーの始まりと終わりを比較してみると、佐野の歌は大きな変貌を遂げて
いる。

 アメリカのオールディーズ・ショウで、老いたロックンロール・スターがキ
ーを下げて往年のシャウトを絞り出しているのを見ると悲しくなる。それは自
らのコピーに過ぎず、どんなに歌い続けても“歌”そのものを成熟させていく
ことはできない。
 どんな名歌手の肉体も、年齢と共に衰えていく。けれど、たとえば歴史に残
るソウル・シンガーたちや、何歳になっても“現役”であり続けるシンガーた
ちの歌を思い出してみる。彼らは、年齢を重ねるごとに変化していく“声”に
よって“歌”を熟させていく。

 そして佐野もまた、ずっと歌い続けていくために必要な“次の場所”へと足
を踏み入れた。佐野本人と、そんな話をしたことはない。でも、わたしはそん
なふうに感じている。

 今回のツアーで、PAチームと佐野のリレーションシップは決してスムーズ
には進まなかった。以前に解決したはずの問題が、ある日また振り出しに戻っ
たり……。
 それもまた、歌の変化が重要なキーポイントになっていたのだろうと思う。
会場ごとに環境が変わるうえに、佐野の歌も日々変わってきた。だから、音響
的にもベスト・ポジションを定めることは難しかったのかもしれない。

 演奏する曲がどうこうとか、アレンジやサウンド・スタイルがどうこうとか。
そんな表層的な事実では、本当の変化は図れない。最先端の音楽をとり入れて、
それでも淋しいほどに古めかしく映る連中だって数え切れないほどいるわけだ
し。

 今、佐野元春は本当の変化という難題に対して、真摯に向き合っている。

 ボーカル・スタイル、そしてバンドのありかた、音楽性……何が変わってい
くのかは、わからないけれど。何をどんなふうに変えることも、今の佐野にな
らできる。

 佐野の、その強さに惹かれる。彼ほどのアーティストであれば避けて通るこ
ともできる乱気流に、好奇心にかられて突っ込んでいくような向こうみずさに
惹かれる。
 そして、そんなふうに佐野が向こうみずになれるのはThe Hobo King Bandが
いるからだ。

「今の僕らなら、何だってできる」と、佐野は言う。彼らThe Hobo King Band
との旅のなかで、佐野はさまざまな決意をした。間違いなく。
 で。この事実を旅の終わりにキッパリと断言できることは、レポーターであ
るわたしの誇りでもある。

                     ****************************

「これからもたくさん曲を書いて、歌っていく」

 今回のツアーで、佐野はよく最後にそう言った。それは、とてもアタリマエ
のアイサツのようにも響くけれど。これからの佐野元春のありかたを、何より
もきっぱりと宣言する言葉でもある。

 たくさんの収穫があった。
 そして同時に、このツアーではたくさんの“宿題”が残った。

 佐野もThe Hobo King Bandも全力を尽くして、燃え尽きた。
 最終日、彼らは自分たちが見せることのできる手札はすべてさらけ出した。
 けれど、すべてが終わったということは。新しい種を蒔く準備が完了したと
いうこと、でもある。
 終わりは始まり。

 最後は、人のフンドシで相撲をとって終わるというのもアタシらしくてよい
であろう。
 ツアー終盤、佐野からもらったメールを無断引用してしまう(^_^;)。
 なぜなら、いろんな意味で“The Barn”ツアーをしめくくるいちばん素敵な
言葉がこれだと思ったから。

 ツアーにおける彼自身とバンドの変化について触れた後で、彼はこう書いて
いた。

「僕たちは大人になった」

 でもね、その後に“ツアーが終わればまた子供”とつけ加えられていたこと
はナイショ……って、全然ナイショじゃないか(^_^)。
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■打ち上げがわりの、ごあいさつ----------------------------------------

 なんか、個人的なこじつけかもしれないけど。
 4月14日、ツアー最終日。
 この日、わたしのホームページ“Nohji's Rock'n Roll Shop”は満2周年を
迎えた。と同時に、しばらく休業することになった。それはまぁ、わたしなり
の考えがあって決めたことなのだけれど。どーしよーかなー、休みたいなー、
もったいないなー……と、しばらく前からグルグル悩んでいたのだった。でも、
結果的にツアー最終日が2周年記念日と重なることに気づいた時……これは、
なんかひとつの区切りの時を意味しているのかもしれないな、と思った。佐野
さんのインフルエンザと同じように、後で“意味”に気づくことがあるはずだ。
そういえば、佐野さんから初めてメールをもらってネット・コミュニケーショ
ンが始まったちょうど1年後に『フルーツ・ダイアリー@web』が出版されたり、
『フルーツ』発売日のちょうど1年後にNohji's Rock'n Roll Shop内フルーツ
・プロジェクトが完了したり。あまり迷信には惑わされないわたしも、佐野さ
んに関しては不思議な偶然がたくさん続いて“これは何かあるのかも!?”と思
うことがしばしば。

 この“STT”のアイディアを思いついたのは、去年のクリスマス!! ひとり 
淋しく仕事をしていたところ、メールレターによるライブ・レポートという企
画が突然にひらめいた。その5分後にはMIPSの遠藤さんに、さらに5分後には
佐野さんにメールを送りつけていた。これは最初からNohji's Rock'n Roll   
Shopではなく、MWS内イベントとしてでなければ成立しないということはわか 
っていた。そしてMIPSの面々ならば、こんな思いつきにも面白がって力を貸し
てくれるだろうということも信じてたし。たとえ人数は少なくとも、佐野元春
&The Hobo King Bandと一緒に旅をする気分をメールを通してわかちあってく
れる人たちがいるはずだということも疑わなかった。はっきりゆって、最初か
ら「これはイケるッ!!」とワクワクしておったのですよ。
 でも、まさか1000人以上の人たちが読んでくれるとは思わなかった。
 本当にどうもありがとう。

 あーだこーだのワガママを、全部かなえてくれたMIPSのみなさんにも感謝で
す。
 いつか一緒にひとつのプロジェクトをやってみたいという希望が、こんなに
早くかなうなんて。かわいいロゴを作ってくれたのは遠藤さんでした。でも、
会場で会った読者の人には「あのイラストとずいぶん違いますね」とゆわれた
ぁ〜(涙)。

 それから、わたしからの一方的なダラダラメールを受け取ってもらえただけ
でもうれしいのに。お返事のメールもたくさんもらいました。ツアー中、夜中
にホテルの部屋でノートパソコンを開いてメールを読む瞬間がどんなに幸せだ
ったか。感謝です_(._.)_。

 たとえば、これを最初からお仕事の企画としてスポンサーを探して始めるこ
とも可能だったと思うけど。それはヤだったの。『フルーツ・ダイアリー』か
ら始まった“自分が好きだからやってるのよ”という意地を、ここでも貫きた
かった。

 こんなふうに、ひとつのことについてずーっと書き続けられること。そんな
もの、見つかるはずがないと思っていた。
 ミュージシャンとジャーナリストの関係というのは、基本的には一期一会だ
と思ってる。だから、これまでもわたしはツアーにずーっと同行する仕事など
は断り続けてきた。
 でもね。ポール・ウィリアムズがボブ・ディランについて今もえんえんと書
き続けているように。故レスター・バングズが、死ぬまでルー・リードについ
て書き続けたように。ずっと書き続けていかなくちゃいけないアーティストに
出会ってしまう幸運が、ひとりに一度は訪れるんじゃないかなぁと思った。

 佐野元春&The Hobo King Bandがどんどん新しい未来に向かっていくにつれ、
わたしはどんどん淋しくなっていた。それはもう、フルーツ・ツアーの頃から
そうだったんだけど。わたしは、どこかで彼らの背中を見送る時が来るんだろ
うな……と思っていたから。楽しいけど、淋しい。そんな気持ちだった。
 でも。佐野さんは今、もう後へは引き返せない場所まで到達してしまった。
バンドのメンバーひとりひとりも、それぞれが後戻りできないという決意をも
って活動を続けている。だから、わたしもいつの間にか引き返すわけにはいか
なくなっている。
 彼らがどこまで上りつめようと、あるいはドン底まで落っこちていこうと。
わたしも書き続けていかなくちゃいけないんだろうなと思った。それが、どん
なカタチで続いていくかはわからない。明日からまた、せこせことインターネ
ット連載を始めるかもしれないし。10年の沈黙を守った後にいきなり超大作を
書きあげるのかもしれないし。んー、わからないけど。とにかく、ものすごい
ところに足を踏み入れちゃったという自覚はあるので。きっと、わたしは書き
続けていかなくてはいけないのでしょう。
 そして、さらに大変なことに。そうやってわたしが後戻りできない場所まで
来てしまった過程を、実はリアルタイムでみなさんに一部始終目撃されてしま
っているわけですな。もう逃げも隠れもできまへん。

 まずは、最後までおつきあいしてくださったみなさんにどうもありがとう。
 そして特別会員(^_^;)、メンバー&ツアー・スタッフのE-mailアドレス所有
者のみなさん。はげましとアドバイスをありがとう。このレポートは決してわ
たしひとりの作品ではなく、ライブ後の課外活動の中で収拾した情報が大きな
原動力となっておりました。小田原アニキがどんなにパチンコが弱いかについ
て糾弾しろというローディー・チームのリクエストに、お答えできなかった意
気地なしをお許しください(;_;)。
 それから最後に、佐野さんに10000000000000万年分の感謝を!! 10代の頃か
らずっと、いつかその音楽に対する“ご恩返し”ができたらと思っていました
けれど。ここにきて、返さなくちゃいけないご恩が増えすぎてしまいました。
きっと一生かかっても返しきれないような気がします。でも、ちょっとずつお
返ししますね。あー、今のわたしは岸部シローの心境です。まじで。

 Small Town Talkは終わりますが、これからもMWSではいろいろと楽しい企画
が続いていくことでしょう。それにね、Nohji's Rock'n Roll Shopはお休みで
すが、その姉妹ページである“Nanoo Records Homepage”は今年バリバリと発
展させていく予定です。田町探索隊のデビュー曲とかね、あとは新人ユニット
=ザ・レイターズ(元のグループ名は“センパイ&アニキ”)とゆーのもいま
すし。佐野さんがファクトリー内に素晴らしいスタジオを作られたそうなので、
なんとか佐野さんをダマしてタダでレコーディングさせてもらおうとタクラミ
ちゅうです。こっちもご期待くださいね。

 ではでは!!

 よかったら、Small Town Talkの感想などなど聞かせてくださいね。最後に
オレをメールの海で溺れさせてくれっ \(^o^)/。うそ。  

By 能地祐子 nohji@DaDooRonRon.com
    from Nohji's Rock'n Roll Shop
   (http://www.DaDooRonRon.com)


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