佐野はこれまでに一度だけ他のアーティストの前座として出演したことがある。1980年11月、中野サンプラザで行なわれたクリストファー・クロスの来日コンサートでのことだ。その日は昼の部と夜の部の二回公演。どのような経緯かは明らかでないが、同年春にデビューした佐野元春はオープニング・アクトとして出演している。
オープニング・アクトとは言っても、佐野にとっては東京、名古屋、大阪での初のライブ・アピアランスということもあって、佐野とバンドは演奏を心待ちにしていた。
しかし、当日予期せぬハプニングが彼らを襲った。予算の問題、あるいは機材の入れ替えの時間などの問題があって、急遽その日主催者側から、バンドでの演奏ではなく佐野ひとりで演奏してほしいとの要請を受けた。
バンドは失望し、佐野は後に引けなかった。佐野は急遽、ダディ柴田のサックスだけをバックに、彼自身のピアノの弾き語りで「情けない週末」「バッドガール」(夜の部では「彼女」)「Do What You Like」の3曲を歌った。たった3曲の、しかもバラードだけの孤独なギグだったが、佐野は自分自身の“いま”をその3曲に込めて声を振りしぼった。
はじめは、ブーイングしていた聴衆も、2曲3曲と進んでいくうちに、このユニークな新人のパフォーマンスに耳を傾けはじめ、やがて佐野が舞台を去るころには大きな拍手へと変わっていた。
のちに佐野は語る。「あの夜が僕のはじめての全国ライブ・アピアランスだった。苦い経験だった。ピアノの弾き語りではあったけれど、いつも僕の頭の中ではバンドのビートが鳴っていた」
“ピアノマン 元春”の背後には“ロックンローラー元春”がいた。