01:伊藤銀次 前編

伊藤銀次1950年、大阪に生まれる。70年代初頭の“日本語のロック”黎明期からシーンに関わり、シンガー、ソングライター、ギタリスト、アレンジャーとして活躍。デビュー直前の佐野元春との出会いは1979年のこと。80年代前半にはザ・ハートランドのギタリストとして活動を共にする。現在では敏腕プロデューサーとして知られているが、アーティストとしての活動再開も噂されている。

アパートの部屋で、アコースティック・ギターとピアノとメトロノームだけで、彼がただひたすら曲を作り続けていたことを僕はよく覚えてる。



::::::::『Back To The Street』『Heartbeat』『SOMEDAY』という3枚のアルバムをレコーディングしているときの佐野元春は物凄いスピードで突っ走っていた、という印象がありますね。

銀次 そうだね。とにかく曲はどんどん出来ていたし、当時の佐野君は曲を作るのがとても速かった。アパートの部屋で、アコースティック・ギターとピアノとメトロノームだけで、彼がただひたすら曲を作り続けていたことを僕はよく覚えてる。デビューしてからの彼は部屋で曲を作っているか、レコーディング・スタジオの中にいるか、それともツアーに出ているか、という感じだったんじゃないかな。

::::::::『Back To The Street』『Heartbeat』『SOMEDAY』では銀次さんの関わり方もそれぞれに異なりますね。

銀次 うん。僕も最初はアレンジャーのひとりとして関わっていた。だから『Back To The Street』のサウンドは佐野君のものでもないし、僕のものでもない。でも『Heartbeat』では僕は前作よりも多くの曲に関わることができたし、佐野君の考えていることもわかってきたから、本当の意味での共同作業ができるようになってきた。たとえば「ガラスのジェネレーション」や「君をさがしている」のサウンドはそういった共同作業から生まれてきたわけです。

::::::::そして『SOMEDAY』で佐野元春は初めてのセルフ・プロデュースに挑戦したわけですね。

銀次 そう。いまでもよく覚えているけど、シングル「SOMEDAY」のレコーディングのときに彼は「銀次、この曲は僕ひとりでやりたいと思ってる。だから銀次は口を出さないで欲しい」って言ったんだ。

::::::::『SOMEDAY』が佐野元春自身のセルフ・プロデュースによるアルバムになったことは必然的なものだったのでしょうか?

銀次 そうだと思う。もともと自分でアレンジすることもできる人だったからね。最初から佐野君の頭の中では自分のサウンドが鳴っていたわけだから、あとはそれをバンドの演奏で再現して、レコードに定着する方法を覚えることができれば、彼自身が自分でプロデュースするのがベストの選択だと僕は思ってた。そして、佐野君はそれを最初の2枚のアルバムを作ることによって覚えていったんだ。それはもう本当に物凄いスピードで覚えていったんだよ、彼は。

::::::::アルバム『SOMEDAY』がそれ以前の2枚のアルバムと最も大きく異なるところはどこだと思いますか?

銀次 バンド・サウンドじゃないかな。それまでの佐野元春が抱えてた最大の問題はバンドのメンバーが固定していないことだったから、『Back To The Street』と『Heartbeat』のサウンドはバンドのサウンドじゃなかった。特にドラマーがなかなか固定しなかったんだけど、古田たかしが入ることによってザ・ハートランドがひとつのバンドとしてまとまって、佐野君のイメージをサウンドに反映することができるようになった。それがいちばん大きかったような気がします。

::::::::なるほど。バンドがまとまったことでレコーディングの方法も必然的に変わっていくわけですからね。

銀次 そう。アレンジャーがスタジオ・ミュージシャンに譜面を渡して……というスタイルのレコーディングじゃなくて、リハーサル・スタジオでバンドと一緒にサウンドを作っていくことができるようになった。この変化は大きいと思う。それからの佐野君は新しいオモチャを与えられた子供のように次から次へと新しいアイディアを提案して、そこから「SOMEDAY」や「DOWNTOWN BOY」が生まれてきたんです。

::::::::「SOMEDAY」という曲はアルバム『Heartbeat』のレコーディング以前からあった、と聞いているのですが。

銀次 うん。『Heartbeat』のレコーディングが始まる前に、彼が「『SOMEDAY』という曲があるんだ」って言ったんだ。「すごくいい曲なんだ」って言うんだけど、なかなか聴かせてくれないんだよ。「ガラスのジェネレーション さよならレボリューション」という部分しかなかった「ガラスのジェネレーション」という前例があったから、「佐野君、それって“SOMEDAY”(と歌う)っていう曲なんじゃない?」って聞いたら「実はそうなんだ」って(笑)。最初はその部分しか出来てなかったんだよ。結局、『Heartbeat』のレコーディングには間に合わなくて、その後、シングルとしてレコーディングされて、次のアルバムに入ることになるわけだけど、彼にとってはそれだけ想いの強い曲だったんだね、「SOMEDAY」という曲は。



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