02 | 両親
1980 -1981



 佐野の両親は共に昭和7年生まれ。若くして二人は駈け落ちの末、結婚をする。父親はフリーの経理士だった。佐野は父親との関係を次のように語ったことがある。「父は実務の人だった。僕が音楽に夢中になることをほとんど理解してもらえなかった」

 母親は新劇の舞台女優だった。しかし、結婚、出産などの環境の変化などによって演劇の道を諦めることになり、東京・青山にジャズ喫茶を開く。「母は生まれた僕を抱いて病院から店に戻り、誕生祝いにとジュークボックスにコインを入れ、エルビス・プレスリーの“監獄ロック”をかけた。母から聞いた一番好きな話だ」。佐野が近親について語った数少ないエピソードのひとつである。

 父親は91年に他界。その3年後には母親を亡くしている。94年夏、横浜スタジアムで行なわれたハートランド解散ライブが、母が見る最後の公演となった。

 佐野は一度だけパブリックな場で母親を紹介したことがある。85年5月、ビジターズ・ツアー最終公演、品川プリンスホテル・アイスアリーナでの公演中の出来事だった。熱狂するファンを前に、「僕を生んでくれた大切な人」と言うと佐野は母親をステージ上に招いた。それは女優を志しながらも夢なかばに終わった母に向けての精一杯のリスペクトだった。

 アルバム『ザ・サークル』(1993年)のクレジットには次のように書かれている。「多大なインスピレーションを与えてくれた両親に。ありがとう」

(高野ヒロシ)



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