1980年4月7日、TVK(テレビ神奈川)で放送が開始された音楽番組「ファイティング'80s」。第一回を観ていた視聴者たちはとんでもないものを目撃することになった。
司会を務める宇崎竜童率いるダウンタウン・ファイティング・ブギウギ・バンドとゲストのRCサクセションの演奏は、当時の和製ロックの基準に則した真っ当なものだった。だが、レギュラーの新人アーティストとして紹介された佐野元春とそのバンド(のちに「ハートランド」と名づけられる)の演奏は常軌を逸していた。
気持ちだけが先走り音程など無視して「アンジェリーナ」を歌う(というよりも叫ぶ)佐野のがむしゃらなパフォーマンスは、当時のTVモニターのフレームから大きくはみ出していた。
実際、何度目かの放送ではピート・タウンゼンドばりに高くジャンプした佐野をテレビ・カメラは追いかけることができず、彼の姿がモニターから消え失せたこともあった。「放送事故」という言葉が視聴者たちの頭の中を駆け巡る。しかしそれは痛快なハプニングだった。
この番組にレギュラー出演したことで佐野は、一部の視聴者に鮮烈なイメージを残した。すでに予定調和のループの中に迷い込みつつあったロックンロールをそこから救い出してくれるかもしれない、新たな時代の新たなヒーローをぼくらは発見したのだ。
その直観が正しかったのかどうか、それはその後の歴史が証明している。