06 | ルイード
1980 -1981



 ライブハウス「ルイード」。東京・新宿にあるそのライブハウスで佐野は1980年8月から1981年12月までマンスリーでライブを行なった。まだ知名度もなく全国ツアーにでかける以前のことだ。

 当時の「ルイード」は新人の登竜門として位置づけられ、ライブからコンサート・ホールへのステップ・アップにはこの「ルイード」での反響が基準となった。当時のプログラムを見ると佐野の他に山下久美子、シャネルズ、ルースターズ、子供バンドなどの名が記載されている。

 1980年8月。当時23才の“新人ロックアーティスト”のデビュー・ライブに集まった観客は、関係者を含み20人足らずだった。しかし同年10月にシングル「ガラスのジェネレーション」をリリースする頃には、佐野を一目見ようとする熱狂的なファンたちが店内から溢れだしていた。

 ザ・ビートルズにとってのキャバーン・クラブと同様に、佐野のルイード時代でのライブは伝説となった。ライブは二部構成で行なわれ、前半がピアノ弾き語り、後半はエレクトリックギターを片手に「Back To The Street」「ガラスのジェネレーション」「悲しきレイディオ」などのロックンロールで客席を揺らした。身動きできないほどいっぱいになった観客が佐野のビートに身を揺らし足踏みをすると、階下に埃が舞い、苦情がくるというエピソードは当時のライブの熱狂ぶりを語るうえで有名な話だ。

 ルイードでの評判はたちまちのうちに全国的に知れ渡り、81年12月、クリスマス・ライブを最後にルイードを卒業。この後、「ウエルカム・トゥ・ザ・ハートランド・ツアー」(1982)、「ロックンロール・ナイト・ツアー」(1982) を開催。両ツアーを通じて、佐野の人気は一気にブレイクした。

 2000年にリリースされたデビュー20周年記念アルバム「20thアニバーサリー・エディション」のフロントカバーには、80年当時、このルイードでリハーサルをする佐野の姿が写 っている。

(高野ヒロシ)



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